狼が救ってくれたこと

 狼のような人、それは「気は荒いが心優しい人」のことです。『狼の群れと暮らした男』を読んでわかりました。

 著者ショーン・エリスは、なにゆえに「狼」と暮らそうとしたのか。

 それは彼の幼少時の暮らしと深い関連があります。

 著者ショーン・エリス(1964.10.12〜)は英国イングランド、ノーフォーク州の草深い片田舎に生まれ育つ。幼少時代から林野に親しみ、狩猟犬ほか多くの野生の動物と遊んだ。育ての親である祖父母との別れが若い著者の生活を暗転させた。農家の家禽を襲うキツネを偏愛したため住民の反感を買い孤独が深まった。環境にも培われた生得的な動物愛と、動物園で目にして心を奪われたたオオカミに対する傾倒が、著者の運命を決定づけた。

 社会に出るも、食い詰めた著者は軍隊に入り、特殊部隊としてサバイバルの訓練を重ねました。

 やがて彼は自分の原点に目覚めます。

 それが私の運命を決定づけた瞬間だと、ネイティブアメリカンたちは言っていた。彼らによれば、人は、善かれ悪しかれ幼少時代に起きた経験の結果、動物と暮らす不文律の契約を非常に若い年齢で自然と交わす。振り返ってみれば、あの勇壮な若いキツネーわが友ーが、あの木から吊されているのを見たときのショックで、同類の種である人間に対する嫌悪感と人間から距離を取りたいという欲望が生まれたことは疑いない。

 信じられない方法と忍耐でようやく狼の群れの一員となった著者は、二年もの間、狼と一緒に狼と全く同じように暮らしたのです。

 狼の群れは能力ごとに役割が分担され、身分秩序がとても厳格です。

 彼は下位の狼として、上位の狼が持ってくる鹿の肢など生の肉だけを食べて暮らしました。

 服も同じまま。何の持ち物も持たず。

  →著者と狼の実際の映像はこちらからご覧になれます。

 二年目に近いある日、彼は恐怖の経験をしました。

 (※読みやすいように一連の文章をいくつかに分け、て小見出しをつけました。)

1.私は水を飲もうと谷間に下りていった

 午後遅い時間だったが、私はまたしてもどうしようもなく水が飲みたくてしかたなかった。私は立ち上がり谷間に向かっていつもの道を下りはじめた。そのとき、巣穴の反対側から若いオスが私に飛びかかり、私を地面に叩きつけた。若いといってもなりはでかく力が強かったので、ちょうどラグビーで三人の選手に同時にタックルされたような感じだった。私はショックで一瞬息が止まり、動くこともできず、そこに寝たままだった。これは全く彼らしくなかったが、彼は本気だった。彼は私の上で唸り声をあげ、目はらんらんとして、耳は頭の後ろに下げ、うなじ毛を立て、尻尾は高くあげ、歯をむき出しにしていた。私は気分が良くてもこんな彼に反抗することはしなかったろう。

2.彼は私を恐怖の中に閉じ込めた。

 喉笛をかき切らんばかりの形相で、彼は私を後退させ、何年か前に落雷でできて黒くなった木の窪みに押しこんだ。私はこの木炭化した窪みの中に押し込められたのでうずくまっていたが、私が動こうとすると彼は唸り顎骨で空中を咬んだ。彼らの顎と歯は私の体の骨を全部砕くことができることは知っていた。彼がこんな行動をするのを見たことはなかった。今まで一緒にいて、彼が支配欲にあふれ力を誇示した発情期の時でさえ、彼が私を殺したがっていると考えたことはなかった。しかし今はそうしか考えられず、命が狙われているのかなと考え始めた。その後四五分間、彼は私を恐怖の中に閉じ込めていた。

3.自分で蒔いた種だと観念した。

 何が起きているのか、彼をこんなに怒らせることを何かしたか、私は思いつかなかった。彼は私を殺す前に群れの他の仲間が帰ってくるのを待つつもりかなと思い始めた。私の命は風前の灯だ、あんなに頑迷を通したため自分で蒔いた種だと観念した。野生のオオカミの群れに潜入しようとするなんて常軌を逸した行動だと皆は言っていた、彼らが正しかったことが証明されようとしている。たしかに野生のオオカミは飼育されたオオカミとは違ったし、どれだけ彼らに受け入れられたと思っていても、それは自己欺瞞だった。彼らはある一定期間は人間に我慢するがもはや役に立たなくなったら攻撃するのだ。一分一分過ぎるごとに私の恐怖心は膨らんだ。ガミガミおばさんが早く帰ってきてくれないかと祈りさえした。彼女なら群れのリーダーとして私を助けてくれるかもしれない。誰にも見つからないまま朽ちるのかー誰もどこから探し始めたらよいかさえわからないだろう。

4.突然、彼は優しい目で私を見つめた。

 しばらくして、夕闇が濃くなり始めると突然、彼の機嫌が変わった。攻撃的態度が消え、彼は再び落ち着きと静けさを取り戻した彼は優しい目で私を見つめ、目をばちくりさせた。私は気を緩めなかった。さあ、きたな、こいつは私に偽りの安心感を持たせているのだ、と私は思った。しかし、彼は私の顔と口をあちこち、まるで私に謝っているかのように、舐め始めた。これはぜったい私に殺意をいだいているオオカミではない。これこそ、私がずっと愛してきた以前の兄弟だ。

5.私は木の洞穴から思い切って踏み出した。

 震えながら、私は木の洞穴から思い切って踏み出したが、彼は止めようとしなかった。彼はそこから私が先刻辿ろうとした谷間に下る道を歩きだした。二、三歩進むと彼は立ち止まって振り返った。これは後についてきなさいという意味だとは知っていた。それで私は彼に従ったら、チビたちまでついてきたが、巣穴区域から七十か八十メートル離れたところで、彼は立ち止まり、地面が爪でひつかかれた跡の匂いを嗅いだ。私が下を見ると、そこに今まで見たこともない、匂いも全く違ったクマのどでかいフンが落ちていた。地面には深いひっかき跡と周りの樹木の皮にいくつもの溝があった。つまり、巨大なハイイログマが爪を立てその痕跡を残していったのだ。私が後にネイティブアメリカンから聞いた話では、クマは地面に残して置くもので彼の意志を示すのだそうで、このクマは捕食動物を殺すために出歩いていたのだ。

6.私は彼に命を救われた。

 突如、すべてがはっきりしてきた。若いオスは私を殺そうとしたのではないのだ。それどころか、私が四五分前にこの道を通っていたら、クマに襲われただろう。このオオカミは私を確実な死から救い、同時にクマが巣穴とチビたちの存在に気付かないように守ったのだ。私は彼に命を救われた。


 彼が狼によって救われたのは身体だけではありません。魂も救われたのです。

私は放ったらかされたのではなかった。

 私は気がつくと自分の子ども時代のことを思い出しているのだった。

 私の祖父母を深く敬愛してはいたが、母が私の世話を放棄して二人に任せっきりだったことに傷つき怒っていたことを思い出していた。そんな境遇にいた子どもは友達やいとこの誰にもいなかったから。

 しかし、オオカミの母がどうやって子どもを育てているかを観るにつけ、私は自分の人生を今までと違った角度から見るようになった。私がここで経験していることが余りに私の幼少時代の経験と似ているので、突然目からうろこが落ちる感じがした。

 私は放ったらかされたのではなかった。・・・まったく違う。

 私の幼年期は、年配者が歳月を経て培った忍耐と英知によって、はるかに豊かなものになったのであって、私が得たものは、一人の若い女である母親だったら決して与えられなかっただろう。

 母はちょうどアルファのメスのように、家に食べ物を運んでくるために外に出て仕事をしなけらばならなかったので、子どもの養育を彼女が最も信頼できる家族のメンバーに託したのだ。私たちは同じだと私は感じた。

 引用が長くなりましたが、実は書き足りません。原本は感動に満ちあふれています。

参考
 コヨーテ療法