ゴッホの手紙は900通あるそうです。うち600通は弟テオ宛てで、なかには原稿用紙9枚くらいの長文もあるそうです。
実は今、ネット美術館「あったかギャラリー」open間近なんです。
そこに掲載させていただく、FBで知り合ったアーティストたちの日々たゆまず描き続ける力に驚嘆している毎日です。
それで、先日テレビで見たゴッホの手紙のことを思い出したんです。
ゴッホは、たった37年間の生涯で、本業の絵の他に手紙までこんなに書いたのか、書けたのかと驚きです。
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私ごとで恐縮ですが、修行と思って書き続けているこのブログ、昨年5月から休日以外の毎日書いてきましたが、いまだ425本です。
いっぱい書いたつもりでもこんなもんなんですね〜。
アーティストが日々創作する努力を見習い、何とか500本、いやできれば1000本まで修行を続けたいな〜と思っています。
日々試行錯誤で、読者にはご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちもありますが。。。
努力を続け、自分にも他人にも栄養になるような作品をつくる能力を高めたいと思っております。
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さてゴッホがすごいのは、本業の絵画がとてつもない生産数であることです。
ゴッホは、1881年11月から死を迎える1890年7月まで、900点近くの油絵を制作した。生前はほとんど評価されなかったが、死後、「星月夜」、「ひまわり」、「アイリス」、「アルルの寝室」など、多くの油絵の名作が人気を博することになった。油絵のほか、水彩画150点近くがあるが、多くは油絵のための習作として描かれたものである[164]。素描は1877年から1890年まで1000点以上が知られている。(wikipediaより)
活動期間が約10年とすれば、毎年205点、一か月に17点もの作品を描き続けたということになります!
これらの絵の他に900通の手紙ですから。。。寝る暇はあったのでしょうか?
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ゴッホの手紙には、けっこう「日本」について書かれたものがあるようです。
テオ宛の手紙 1888年 アルルから
親切な手紙と同封の五十フラン札とを有難う。どっちみちゴーガンに手紙を書くとしよう。
旅行が厄介で悩みの種だ。約束して後で都合が悪くなったら、困ってしまう。今日ゴーガンに手紙を書いて、それを君に送ろう。
ここの海を見てきたいま、南仏に滞在することの意義を切実に感ずる。もっと色を強烈に使わなければ − アフリカは近いのだ。
たとえ物価が高くても南仏に滞在したいわけは、次の通りである。
日本の絵が大好きで、その影響を受け、それはすべての印象派画家たちにも共通なのに、日本へ行こうとはしない、つまり、日本に似ている南仏に。決論として、新しい芸術の将来は南仏にあるようだ。
しかし、一人でいるのはまずい、二三人で互いに助け合った方が安く生活できる。
君が当地にしばらく滞在できるとうれしい、君はそれをすぐ感じとり、ものの見方が変って、もっと日本的な眼でものをみたり、色彩も違って感じるようになる。長い期間滞在するとすれば、確かに自分の性格も変ってしまうだろう。
日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。
あの強烈な色彩の絵を描いたゴッホが、その対極ともいえる日本的美、日本的感性にこれほど惚れ込んでいたのかと、あらためて感じさせる手紙です。
それにしても、南仏と日本が似ているとは??
行ったことがないのでわかりませんが、私にはあまり想像ができません。
まさに芸術家の感性と凡人の感性は「月と六ペンス」なんですね。