マクロな民主主義

 逆噴射でロケットスタートの政界、どうせ過去に戻るなら戦前よりも江戸時代のほうがましと私は思っています。
 偉大な?政治家をご先祖様に持つ世襲政治家たちのすさまじきトラウマ。(まったく理解できないわけでもありませんが)

 今度こそはご先祖様の名誉を挽回し、誇り高くも険しくきな臭い時代への回帰を果たそうと、もう「むきだし」です。

 他に誇れる余裕を失ったせいか、国民感情も対岸の国と同様の「とうがらし色」になってきました。

 「中国・韓国になめられてたまるか!」の一点突破でついに(貴重な)シールドが破られそうです。

 TPPもそうですが、「水は低きに流れる」で、最低のライン(偏狭的ナショナリズム)にどの国も右習えしてから次の時代が始まるのでしょう。たぶん。。。

 日本はこの先どこまで険しい顔に変わっていくのか。。。

 という心境で出会った本『大江戸エコロジー事情』(石川英輔著)にはこんな文章がありました。

どんな世の中にしたいのか

 だが、大多数の日本人が、われわれは間違っていると本心から思えば、その瞬間から日本は変わり始める。国民の意思を実行に移すのを民主主義と呼ぶなら、長い目で見た場合、民主主義は必ずしも投票箱に投票用紙を入れなくても実行できるのだ。というより、どんな形式の政府であろうと、人間にとってかなり長い五十年とか百年とかいう時間を単位にして考えた場合、国民が消極的にでも支持しなければ必ず崩壊する。人間社会の基本は、こういうマクロな民主主義なのである。

 そうであるとすれば、変わるべき時に地球が存在しているように致命的なことだけは何としても避けたいものです。

 江戸時代が三百年近くも続いたのは幕府の弾圧のせいだという人がいるが、われわれの先祖が、そんなに長い間弾圧されっばなしでいるほどおとなしい人々だったとは、とても信じられないし、幕府の官僚組織は弱体で、三〇〇〇万人もの国民を監視して弾圧し続けるほどの人手はなかった。徳川幕府が長続きした大きな理由は、権力者のもとに富が過度に集中しないようにしたことと、民間まかせの部分が多いゆるやかな行政を行ったため、民衆が消極的にでも支持していたせいである。

 明治維新以来の日本をあまりにも高く評価しすぎているのは、対岸の国と同じ「歴史教育」の成果でしょう。良くも悪くも。

 太平洋戦争でさえ、あの時代の日本人が、いやいやながら戦争に巻き込まれていったというのは事実ではない。勇敢な反戦的知識人がわずかにいたことは確かだし、敗戦後に反戦的な人が急増したことも知っているが、命を捨てて戦っていたあの頃の日本の庶民の大多数は、本気で戦争をしていた。もし、大多数の日本人が今のわれわれのように反戦的だったら、あれほどの大戦争ができるはずがないではないか。

 国民も共犯(確信犯)だというのはその通りだと思います。だから日本人の意識には「戦犯」が存在しないんでしょうね〜。みんなで渡れば怖くない(悪くない)国家というわけです。わが日本は。ジミントウはそんな国民的意識を共有しているから強いんでしょうね〜「巨人、大鵬、ジミントウ?」

 しかし、太陽だけで生きた江戸時代の先祖の者らしぶりは、多くの仮定を含んだ空想的な予測と違って、二百六十五年にわたる国家的規模の実験結果であり、世界に類のない具体的な資料である。同じ国に住むわれわれ子孫にとって、未来への指針にはなるはずだ。

 なるほどです。過去の歴史を今より劣るものという先入観が私たちの選択肢を少なくしています。過去も現在も並列に存在する異なる社会モデルと思って比べれば、実証されている分確実な選択肢になりうるわけです。

 私たちは、「これからどうなるのだろう」という受け身の立場ではなく、日本をどんな一国にしたいかを自分自身の責任で考えながら、「そのためにはどうするべきか」と考えるべき立場におかれている。

 未来は、他人ごとではない。

2000年10月5日

 石川英輔さんの著書は実にためになりますが、この本も含めて日本電気協会やら電気事業連合会やら、電力業界関連の業界紙連載がとても多いのも特徴です。

 そのせいか、原子力発電に関する記述はまだ見たことがありません。

 書いていたとしても、きっと圧力があって活字にはならなかっただろうと推測しています。

 電力業界が、現代のエネルギー供給システムに対して、あるいは業界の思惑に対して否定的な考えを持つ方をわざと取り込んでいるようにも見えます。

 そういえば、3.11以前電力業界の広告が一番多かったのは、同じくエコ路線の雑誌『ソトコト』だったらしいのでびっくりです。

  →電力会社広告出稿1位は意外や「ソトコト」

 3.11以前でしたからこんな余裕も見せられたのでしょうね。

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 明治維新から終戦まで78年、終戦から現在まで68年。

 世の中の動きはゆっくりで、大きな方向転換は人の一生に一回くらいのサイクルで来るのかな〜、と考えてしまいます。

 八十九歳になる父もこんなことを言っていました。

 「終戦からもう68年だからな〜。(今の憲法も)逆によく持ったもんだ。たとえ変わってもまた同じように月日が過ぎれば、良くも悪くもまた変わるんだろうさ」

 そうなるのかな〜。。。もちろん私はとことん抵抗しますけどね。

 理念もありますが、それよりも生理的に大嫌いなんです。

 昔から「強がる奴」「威張る奴」「群れる奴」が。

 私にもトラウマがあるんでしょうね。たぶん。