「清く貧しく美しく」という言葉が人々の心に響いた時代もあったのです。それはつい数十年前のことなのに、もう遠い遠い時代の木霊のようにしか聞こえない世の中です。そういえば「清き一票」というのもありましたね〜
(映画「名もなく貧しく美しく」より)
明後日は参議院議員選挙です。
始まる前にもう終わってしまった選挙。
自民党の圧勝だそうです。
ですから私が明後日投票するのは「死に票」になります。
それをわかって投票に行くのですから、「清く貧しく美しく」の心境です。。。
とても残念ではあります。
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政治家とは、権力にあこがれ野心と執念にあふれる特殊な人種です。
中にはそれと傾向が異なる(良心的な)政治家もいますが、彼らは一般的な政治家に反発して政治家になった方々なので、政治家の本家本元ではありません。
権力、野心、執念強き人々こそが、政治家(政党)の本家本元です。
ですから某政党が長い間権力を握ってきたのは当然に近いことだと思います。
なので、、、政治家についてはあきらめています。
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そんな政治家にむりやり反対の方向を向かせられるのが「民の心」、つまり選挙です。
「国を愛する者は、政府から国を守らなければいけない」映画JFK
その「民の心」がどういうわけか、信じられないくらい本家本元政治家寄りになってしまいました。
私は情けない気持ちでいっぱいです。
「理由がどうであれ、壁の側に立って仕事をする小説家がいるとすれば、その作品にどんな価値があるのでしょうか」村上春樹
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・堂々と開き直りの原発推進
・国民と国家の関係を逆転させようとする憲法革命
・選挙優勢が固まったとたん臆することもなく軍国化への復古宣言
・巧妙な二枚舌のTPP推進
いったい私たちは、このような変革を大変なこととは思えなくなったのでしょうか?
排他的ナショナリズムこそ正義と感じるようになったのでしょうか?
一時的にでも景気が上向きさえすれば何をしても許されるというのでしょうか?
「ずっと前から、そして今も、人々は政治家のために殺されている」クリント・イーストウッド
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私たち「民の心」は、もしかして錯覚に気づいていないんではないでしょうか?
・3.11以上の災害はもう(しばらくは)来ないだろう
・原発のハードも人が行う管理も改善されたからもう安心だろう
・軍国化を進めれば対米従属から自主独立できるだろう
・軍隊や核兵器を持てば、それで隣近所との喧嘩に勝てるだろう、鎮まるだろう
「自主独立と対米従属が一緒に進んでいく、まるで冷房と暖房が同時運転だ」加藤紘一
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私にはとてもそうは思えません。。。
その方向に舵を切った未来は、私にはとても気味が悪く映ります。
たぶんもう少数派なんでしょう。
89歳にもなる私の父が太平洋戦争に徴兵されたのは昭和20年1月です。
日本軍最後の兵隊なのです。
ですから今では戦争を経験した人(語り部)はほとんどおりません。。。
→父の戦記.jpg
「正義」「犠牲」「誇り」そのような言葉の裏側や危険性を知る、感じる機会はめっきり少なくなりました。
戦争はもう映画やゲームやスポーツのように、ヒロイズムやナショナリズムを味わう場に変わりつつあるようです。
「ミサイルを撃つ場面は皆見ている。その後のことは想像するしかない」ある戦場写真家
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「自由は死んだ。万雷の拍手の中で」スターウォーズEP3
拍手をしているのは私たちです。
日中戦争、太平洋戦争突入前、国家という熱狂に導かれたあの頃の私たちと同様に。
たとえ他人ごとのように気楽に思っていても、自分たちで選んでしまったことは、きっと私たち自身に降りかかってくることでしょう。
それでも本土が明日にでも占領されそうで恐くて恐くて。。。という方はこちらを読んでください。
スタジオ・ジブリ発行の小冊子「熱風」7月号特集「憲法改正」が無償ダウンロードできます。
宮崎駿さん、高畠勲さんらがたまらない思いで書いておられます。
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私は「清く貧しき一票」の死に票を投じに明後日投票所に行ってきます。
それしかできないし、大切なことだと思うので。