何から何までクラウド、クラウド。。。ネット辺境の土田舎は仕事禁止?ネットが切れたら毎日が日曜日?
「雲行きが怪しい」なんてことも言いますが、何から何まで雲の上じゃ、便利なようで実に怖いものです。
何で怖いかといえば、世の中「選択と集中」のしすぎのせいか、私たちはクラウドが便利となれば、クラウド一本槍になってしまうからです。
何かトラブルがあったりしてネットが切れたら何にも仕事ができません。
パソコンがあったって、今やネットにつながらなければただの箱。
ここはやっぱりサブシステム、バックアップシステムのことをしっかり考えるべきじゃないでしょうか。
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エネルギー、情報、食料、文化、あらゆる面で巨大な一極集中が進み止まらぬ現代。
世の中全体についてサブシステムの重要性は増していると思います。
最近当ブログに出ずっぱりの藻谷浩介さん『里山資本主義』に、またも教えてもらいましょう。
「経済システム」を「情報システム」に置き換えて読むと、問題の構造がそっくりであることに気づきます。
マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう
・・・さらには、震災で痛感した人も多いはずだ。お金と引き換えに遠くから水と食料と燃料を送ってきてくれているシステム、この複雑なシステム自体が麻痺してしまえば、幾ら手元にお金があっても何の役に豊たないということを。
あのとき一瞬だけ感じたはずの、生存を脅かざれたことへの恐怖。貨幣経済が正常に機能することに頼り切っていた自分の、生き物としてのひ弱さの自覚。
その思いを忘れないうちに、動かなくてはならない。
お金という手段だけに頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保しておくという方向に。
そう難しい話ではない。家庭菜園に井戸に雑木林に石油缶ストーブがあるだけで、世界はまるで変わる。お金で結ばれた関係だけではない、日ごろの縁と恩でつながった人間関係があるというだけで、いざというときにはかけがえのない助けとなる。
「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こつそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。
勘違いしないで欲しいのだが、江戸時代以前の農村のような自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、という主義主張ではない。お金を媒介として複雑な分業を行っているこの経済社会に背を向けろという訳でもない。
庄原の和田さんも言っている。「お金で買えるものは買えばいい、だがお金で買えんものも大事だ」と。前章のオーストリアの例のように、森や人間関係といったお金で買えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することで、マネーだけが頼りの暮らしよりも、はるかに安心で安全で底堅い未来が出現するのだ。
ただし里山資本主義は、誰でもどこででも十二分に実践できるわけではない。マネー資本主義の下では条件不利とみなされてきた過疎地域にこそ、つまり人口当たりの自然エネルギー量が大きく、前近代からの資産が不稼働のまま残されている地域にこそ、より大きな可能性がある。
また里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「簿外資産の活用による金銭換算できない活動が、見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならない。
そのあたりをもう少し解きほぐしつつ、里山の招く安心安全の世界をご紹介しよう。
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あらゆることにサブシステムを用意しよう。それがメインシステムに安心安全を与え、もっと役に立つものになる。
人間でいえば、メインの仕事の他にもうひとつ得意分野を持とう。最低限食うための。それが安心安全の人生をにつながる、というところでしょうか。
いつかメインとサブが逆転した方がよき社会になりそうですけどね。