ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」

 「対象を抜きにしてテクニックをどんなに論じてみてもしようがない!対象がだめなら、どんな才能だって無駄さ。」とゲーテは語りました。
 「ゲーテの深い言葉」第14話を書きました。

 ゲーテは、大切なのは「HOW」より「what」だよ、と言いたかったんではないでしょうか。

 「どう書くか、どうつくるか、どう伝えるか」ばっかりで、どんな価値が生まれるっていうんだい?

 「何を書くか、何をつくるか、何を伝えるか」が弱けりゃ、「絵のないガクブチ」と同じだろう?って。

 ゲーテの「対象(客体)」とは、自然、人間、社会、時代など、かなり広いものを指していたと私は思います。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p95
1823年11月3日

 その当時ゲーテが、マイヤーと一緒に、造形美術の対象さまざまについて実に多くの考察を進めていたことに、私は言及した。

 「そうとも」とゲーテはいった。「対象より重要なものがあるかね。対象を抜きにしてテクニックをどんなに論じてみてもしようがない!対象がだめなら、どんな才能だって無駄さ。近代の芸術がみな停滞しているのも、まさに近代の芸術家に、品位ある対象が欠けているからだよ。そのことでわれわれもみな悩んでいる。私だって自分の近代性ということを否定できはしないからね。」

 彼はつづけた、「この点をはっきり自覚している芸術家なんて、ほとんどいないよ。何が自分の心の安定に役立っているのか、わかっていないのだね。(中略)」

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 対象をないがしろにした仕事は枯れていく。。。それは制作の喜びという生気が失われていくゆえに。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p147
1824年2月28日

 それから私たちは、軽々しく作品を描き、結局はマンネリズムに陥っている他の画家について話し合った。

 「マンネリズムは」 とゲーテはいった、「いつでも仕上げることばかり考えて、仕事そのものに喜びがすこしもないものだ。しかし純粋の、真に偉大な才能ならば、制作することに至上の幸福を見いだすはずだ。(中略)」

 「比較的才能のとぼしい連中というのは、芸術そのものに満足しないものだ。彼らは、制作中も、作品の完成によって手に入れたいと望む利益のことばかり、いつも目の前に思い浮かべている。だが、そんな世俗的な目的や志向をもつようでは、偉大な作品など生まれるはずがないさ。」

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 考えているのではない、想像しているのでもない、ただ、どうどう巡りをしているだけ、ちっちゃな自分の頭の中で。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p189
1824年11月24日

 次に、私たちは、われわれ自身の文学や、若干の最近の若い詩人たちにとってブレーキになっているものは何か、ということなどについて、話し合った。

 「大部分の若い詩人に」とゲーテはいった、「欠けているものは、彼らの主観がとるに足らないものであり、客観的なものの中に素材を見出すことができない、ということにほかならない。自分に似た素材、自分の主観に適した素材を、見つけだすのが関の山だ。しかし、詩的な素材であれば、素材それ自体のために、たとえ主観に反していようと、その素材をとにかく手がけてみようなどとは毛頭考えないありさまだ。」

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 「ネット」というもう一つの世界が私たちの主観を席巻する現代、私たちの心が喪失しつつあるものは、ゲーテの時代よりずっと深刻かもしれません。


  参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」