ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」

 文学のみならず自然科学も幅広く研究したゲーテは、「自然の世界には、われわれが近づきうるものと近づきえないものがある。」と語りました。
 「ゲーテの深い言葉」第18話を書きました。

 ゲーテは、文学のみならず、植物学、鉱物学、色彩論、解剖学なども幅広く研究し「総合」を追求した人です。

 自然の観察や究明に努めながら、森羅万象を包括的に直感的にとらえようとしました。

 それゆえにゲーテは、「自然」というものが、人知を超えた神秘的で圧倒的な存在であることを誰よりも悟っていたのでしょう。

 私たちの主観など自然という世界においてはちっぽけなものである、という「謙虚」がゲーテの基本にあるようです。

 私の勝手な想像ですが、ゲーテは、真理の山頂をめざし氷壁を登攀するのではなく、ゆっくりと、そして登るにつれて広がる視野を愉しみながら、たおやかな山脈を縦走していたように思えます。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p375
1827年4月11日

 「君が生涯の信念としてもてることを教えてあげよう。自然の世界には、われわれが近づきうるものと近づきえないものがあるということだ。これを区別し、十分考慮し、それを尊重することだ。 この二つのうちの一方がどこで終り、もう一つの方がどこで始まるかを知るのは、たしかにいつも困難なことではあるが、ともかく、そういう区別があることを知るだけでも、必ずわれわれの助けになる。

 これがわからない人は、おそらく一生涯、近づきえないものに取り組んで苦労し、結局、真理に近づくこともできないだろうよ。ところが、これを知る賢い人は、近づきうるものだけをよりどころにするだろう。そして、この領域内で、あらゆる方面に進んでいき、自分の考えを確立すれば、この道をたどっても、近づきえないものから何ものかをつかむこともできるだろう。

 むろんこの場合でも、結局は、多くの事柄にはある程度までしか近づくことができないし、自然は、つねにその背後には何かしら問題的なものをひそめていて、それを究めることは人間の能力ではとうてい及ばないということを、認めることになるだろうが。」

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 ゲーテなら、未来の世界にとてつもない負の遺産を遺すことが明らかな現代科学技術の粋とされるものの存在、そして、それを許容する私たちの「言葉」をどのように思うだろうか、と考えてしまいます。

  参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」