ゲーテ「個人的自由という幸福」

 ゲーテの晩年19世紀初頭は、神聖ローマ帝国とは名ばかりの小国分立の領邦国家であったドイツがナポレオンに解体され、その後ナポレオン没落後のウィーン会議を経てドイツ連邦が成立した頃でありました。産業革命と市民の自由が拡大していた当時のイギリスと比べ、ドイツは息が詰まるような社会の雰囲気であったようです。

 『ゲーテとの対話』から大切な文章を引用してブログを書き綴ってきました。

 だいぶ書いたので、いったん終わりにしようと思っていました。

 しかし、ある記事を読んで、また書かずにいられなくなったのです。

 それは、「2年後に、小中学校に道徳心・愛国心の評価を導入し、成績をつけることを文科省が決定した」という記事です。

 私たちが知らないうちに、いろんなことが勝手に決められていく。。。と、とても空しくなりました。

 いったい、どのような聖人君子が、どのような基準をもって、どのように評価し点数をつけるというのでしょう?

 もしかしたら、政府(国家?)が推進する原発に反対であるとか、政府が変えたいという現憲法を擁護するなら、それは愛国心がない、または足りないと評価されるのでしょうか?

 そのように教育されたら、もしかしたらわが孫は、将来私を「非国民」と非難するかもしれません。

 「国家」ではなく「国土」を愛する「愛国者」と自負し、拙きながらもこのようなブログを発信し続ける私には、悪夢のごときです。。。

 ゲーテも同じような心境を語ったことがあり、思わず、書かずにはいられませんでした。

 「ゲーテの深い言葉」第23話を書きました。


岩波文庫『ゲーテとの対話』下巻p263
1828年3月12日

 「血統のためか、土地柄のためか、自由な憲法のためか、健全な教育のためか、いずれにしても、イギリス人は、総じてほかの国の国民よりもすぐれたところがあるようだ。(中略)彼らの立ち居振る舞いは、自信満々で、のびのびしており、まるで、どこへいっても自分たちが中心人物で、世界が自分のものであるかのようだ。(中略)彼らは危険な若者たちだ。けれども、もちろん、その危険なところが、彼らの長所なのだな。」

 「しかしながら」と私はいった。「ヴァイマルにいるイギリス青年たちが、ほかの人たちより利口で、機知に富み、教養があり、ほんとうに卓抜した者であるとは、申しあげかねます。」

 「そういうことに原因があるわけじゃないんだよ、君」とゲーテはこたえた。「また、出生や財産にあるのでもなく、彼らが、自然のままであろうとする勇気を持っているということにあるのさ。

 彼らを見ていると、できそこなったところや歪んだところがなく、また中途半端なところとか偏ったところもなく、彼らがどんな様子をしていても、彼らはつねに徹底して完全な人間になっているのだ。また、時には、完全な馬鹿もいるさ。それを全く認めるよ。しかし馬鹿も完全な馬鹿となれば、それはそれでたいしたものだ。自然という天秤にかければ、つねにかなりの重さがあるさ。」

 「個人的自由という幸福、イギリス人という名と、この名がどれほど他国民のあいだで重視されているかという意識が、すでに子供たちのためにになり、その結果、子供たちは家庭でも、学校でも、われわれドイツ人のばあいよりもはるかに大きな尊敬を払われ、はるかに幸福で自由な発育を享受するわけだよ。」
 「わが国がどういう状態にあるかを確かめるには、わが愛するヴァイマルで窓からちょっと外を眺めるだけでいい。このあいだも、新雪が積もったので、近所の子供たちが往来で小さなそりに乗ってみようとしていると、たちまち警官が近づいてきたので、子供たちはかわいそうに、一生懸命逃げていくところを見たな。

 近ごろは、春の日射しが子供たちを家の外へ誘い出し、仲間が寄り集まって戸口で遊びたいところだが、私が見るところでは、子どもたちはいつも気兼ねしていて、落ちつきなく、警察のこわい人が近づいて来やしないかと怖れているようだ。
 男の子は、鞭を鳴らしたり、歌ったり、叫んだりしてはいけない。そんなことをするとすぐ警官が現れて、止めさせてしまう。わが国では、万事が寄ってたかって、愛すべき少年を、早いうちから飼い馴らし、自然や独創性や野性味を一切合切取り除いてしまおうとしている。だから、結局、俗物以外の何者でもなくなってしまうのさ。」(中略)

 「一世紀ばかりしたら、われわれドイツ人はどんなになっているか、次に、もはや抽象的な学者や哲学者ではなくなって、うまいぐあいに人間になってくれているだろうか、まあそれを楽しみに待つとしようよ。」

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 皮肉なことに、ゲーテが亡くなってちょうど一世紀後のドイツは、ナチスが政権を掌握した年となりました。

 ゲーテの希いむなしく、ドイツ人の思弁はアーリア人の優越一色に染まり、おぞましき戦争の端緒を(二度にわたり)開きました。

 第二次世界大戦では、なんと! 10年もしないうちにこの地球上で7千万人が戦争で死にました。(第一次世界大戦の死亡者数は850万人ですから桁が違います。また驚くべきことに第二次世界大戦のアメリカ人の死者数は29万人、イギリス人のそれは38万人という少なさ(?)なのです)

 ゲーテを生んだ同じドイツ人が、6百万人以上ものユダヤ人と、数十万人ものロマ人、障害者、同性愛者を虐殺しました。

 アリンコを想像してさえ、どんなふうにしたらこれほどの数を抹殺できるのか、想像がつきません。

 こんな信じられない地獄が、たった七十数年前に起こったことなのです。

 わが日本においても、ドイツと似たような思想状況があったことは言わずもがなです。

 まだまだ、先の戦争を「過去のこと」とするには早すぎると思います。

 いったい今、私たちは、戦争に近づいているのでしょうか? 遠ざかっているのでしょうか?

  参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」