「鍵」を探し続ける日々

 「変だな?」「どうしてなんだろう?」だらけの毎日です。ずっとずっと昔から。無意識にそれを解く「鍵」を見つけたいと思って日々読書してきたような気がします。はっとする言葉に出会ったときは、その鍵が見つかったような気がして興奮します。でもせいぜい一つだけ扉を開けられたり、あるいは見つけた!というぬか喜びだけだったりします。
 私が好きな詩人茨木のり子さんの詩集にあった「鍵」を読んで「あ、俺もそうだったんだ」と共感しました。

 たぶん鍵探しは一生続くのでしょう。そして「青い鳥」のように元に戻って「あっここにあったんだ!」といつか気づくのかもしれない。

 茨木のり子
 花神社発行:「自分の感受性くらい」より

「鍵」

一つの鍵が 手に入ると
たちまち扉はひらかれる
固く閉された内部の隅々まで
明暗くっきりと見渡せて

人の性格も
謎めいた行動も
物と物との関係も
複雑にからまりあった事件も
なぜ なにゆえ かく在ったか
どうなろうとしていたか
どうなろうとしているか
あっけないほど すとん と胸に落ちる
 
ちっぽけだが
それなくしてはひらかない黄金の鍵
人がそれを見つけ出し
きれいに解明してみせてくれたとき
ああ と呻く
私も行ったのだその鍵のありかの近くまで
もっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら
探し出せたにちがいない
鍵にすれば
出会いを求めて
身をよじっていたのかも知れないのに
木の枝に無造作にぶらさがり
土の奥深く燐光を発し
虫くいの文献  聞きながした語尾に内包され
海の底で腐蝕せず
渡り鳥の指標になってきらめき
束になって空中を  ちゃりりんと飛んでいたり

生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ
見る人が見たら
この世はまだ
あまたの鍵のひびきあい
ふかぶかとした息づきで
燦然と輝いてみえるだろう