昨日のブログ「若者ほど『脱原発』に消極的?」に、FB仲間から貴重なご意見をいただきました。また浅田次郎さんの貴重なインタビュー映像もご紹介いただきました。私は「原発」に対して被害者的に考えていましたが、実は私たち世代こそ「加害者」であったのだと気づかされました。
貴重なコメント
FB仲間の村山さんから、昨日こんなコメントをいただきました。
「なんとか、若者を説得しないと。電力供給とは関係なしに、こんなに多くの原発をつくることを許した世代の責任が問われるのでは?」
同じく濱田さんからはこんなコメントをいただきました。
「・・・若い世代が脱原発に関心が薄い原因のひとつは、我々昭和20年代生まれの人のように、幼児期に何もない時代(テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコン・マイカーなどありませんでした)の経験をしていないからかな?と思いました」
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私は「加害者」なのだ
お二人の投稿にハッ!とさせられました。
私はいかにも原発の「被害者」面して、脱原発に消極的な若者に対して(心の底では)軽蔑感を抱いていました。
しかし、実は私たちこそ「加害者」ではないのか?こんな54基もの原発建設を許し続け、未来に生きる子孫へとんでんもない災忌を残し続けるということに対して。
私は若年層が脱原発に消極的な理由を、経済的問題で理解しようとしていました。
しかし、実は彼らが消極的なのは、「居心地の悪い生活」に対する防衛本能ではないだろうか?エアコンを止めたりする生活への恐怖心のような、とても単純な。それは彼らに「野性」を経験させられなかった私たちが加害者であるとも言えるのでは?
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浅田次郎さんの静かな、しかし強いメッセージ
さらに村山さんからは一昨日の報道ステーションでの対談映像『浅田次郎に聞く“原発と日本人”』をご紹介いただきました。
日本ペンクラブ会長である浅田次郎さんは、個人名ではなく日本ペンクラブという著者名で『今こそ私は原発に反対します』という本を出版されました。
浅田さんは私より二歳上の同世代です。
このインタビューを聞いて「私は加害者だった。。。」という感を強くしたのです。
映像中の言葉から私なりにまとめてみました。
私たちの親は青春時代を戦争にささげました。戦後の焼け野原を見て、きっと「子らにこのような未来を遺してはいけない」という強い責任感を持ったことでしょう。
やがて高度成長期という、人類史上最大と私が思う「幸福な時期を過ごしたわれわれ」が、今その社会の中心となっています。
私たちの親たちが「子供=未来」に対して強く抱いた責任感を私たちはどれほど持っているでしょうか?
自分たちの受けた恩恵を未来に対してどのように返そうとしているのでしょうか?
現在に生きる私たちは「子供」=「目に見える未来」に対して責任を持たねばなりません。
そういう強い意識がないと原発問題は克服できないと思います。
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作家・浅田次郎に聞く“原発と日本人”
→http://www.dailymotion.com/video/xt3f0x_yy-yyyyyyy-yyyyyy_news?start=22
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加害者ならどうする?
被害者なら、その正当性を主張したり、こうむった被害について声高に当事者を責め立てるでしょう。
私もそうでした。
でもこれからは違います。
私たちの未来である若年層に対して、たとえ脱原発に消極的でも忌避感を持たず、「彼らの未来」のために心を込めて説得していかねばなりません。
そこには、経済的な理屈など不要です。
彼らの未来が安全であるために、私たちの親たちが見た焼け野原を再び見せてはいけない。
私たちが今、そしてこれからも長い間見続けざるを得ない「私たちの焼け野原」フクシマを再び見せてはいけない。