ジュリーと太郎

 「トムとジェリー」みたいな、「南極犬、太郎次郎」みたいな題ですが。違います。あの、みんな知っている芸能人の温かき交友のお話です。
 「ジュリー」は沢田研二さん。「太郎」は山本太郎さんです。

 山本太郎さんは、3.11直後の一年前、twitterで「反原発」発言をしたことがきっかけで芸能事務所を辞めざるを得なくなりました。

 彼は今、太陽光発電を取り扱う会社で契約社員として採用され、働き始めたそうです。

 そんな山本太郎さんを、ずっと温かく見守り、励ましていたのが沢田研二さんであったということを、数日前の新聞記事で知りました。

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 沢田研二さんといえば、タイガースのボーカル。私たちが中学校の頃からスーパースターでした。

 どちらかといえば、原発問題とは無縁の世界に生きている方、というイメージでしたが、違いました。

 「原発という倒錯」にものすごい憤りを感じており、その思いを自ら曲にもしていたんです。

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 山本太郎さんの若者らしき「熱き行動」、沢田研二さんの熟年らしき「静かなる抵抗」

 しかし、その出発点となった「体験」と「憂慮」は同じ。

 二人とも「人間」として考え、発信、そして連帯を続けています。

2012.5.4 朝日新聞より

言おうよ、言いたいこと
タブーと向き合う2人に聞く

 東日本大震災から1年を経て迎えた憲法記念日。この間、タブーと向き合ってきたあの2人に聞いた。

◆反原発、ひそやかに 沢田研二さん

 横浜の自宅近くを散歩していたら、青空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。携帯電話のカメラで思わず3枚、撮った。

 3日後、東日本大震災が起きた。栃木県内で音楽劇に出演中、第2幕が始まってすぐだった。公演を中止してホテルに戻ると、停電でトイレの水も流れなかった。

 あれから1年あまり。

 被災地で炊き出しをする人。大声で支援を呼びかける人。でも多くの人は、気持ちはあるけど何をしていいかわからなかった。

 「僕もその一人でした」

 歌手の沢田研二さん(63)。3月、被災地への思いを歌った4曲入りの新譜「3月8日の雲〜カガヤケイノチ」を出した。ジャケットに、あの雲の写真を使った。

 「頑張ろう」という言葉も、派手な宣伝もない。「ひそやかにやるのが今の自分に合っている。たとえ届かなくても、祈りはそれだけで悪いことじゃない」

 メッセージは強烈だ。

 福島の原発を表す「F・A・P・P」という歌では「死の街が愛(いと)しい」「何を護(まも)るのだ国は」「BYE BYE 原発」と叫ぶ。

 還暦の前のあたりから「言いたいことを言わなきゃ」と思うようになった。「60歳超えたら余生。死ぬ準備をしているようなもの」だから。

 4年前、「我が窮状」という歌をアルバムの9曲目に入れた。「もう戦争をしないと誓った憲法9条を守りたい」と思う人たちに、「同じ気持ちだよ」とそっと伝えたかった。

 アイドル時代、「表現の自由」はなかった。「華麗なジュリー、セクシーなジュリーに似合わないことは、言えなかった」

 芸能界でいま、反原発ソングを堂々と歌える歌手は多くない。「電力会社などの様々なしがらみが、様々な形でつきまとうから」という。

 同じ関西出身の俳優・山本太郎さんが反原発運動に参加して仕事が激減したと聞き、「大変だろうな。いつか一緒に仕事がしたいな」と思った。自身も「テレビに出られなくなるよ」と言われたことがある。

 「それでいい。18歳でこの世界に入り、いつまでもアイドルじゃないだろ。昔はジュリー、今はジジイ。太ったっていいじゃない」

 好きなことを、コツコツとやっていこうと思っている。「昔の名前を利用しながら、ね」

◆いま声をあげないと 山本太郎さん

 震災後、俳優の山本太郎さん(37)は眠れぬ夜が続いていた。2人の自分が、言い争うのだ。

 「『反原発』と思っているだけでは意味がないぞ」

 「口を出すな。お前がやるべきは自分の仕事だろ」

 大阪でテレビの生出演を翌朝に控えたホテル。寝付けず、偶然見つけた原発の賛否を問うツイッターの書き込みに反応した。

 「反対!」

 涙がこぼれた。やっと自分に戻れた気がした。3・11から29日がたっていた。

 翌日、東京・高円寺での反原発デモに初めて参加した。事務所に無断で、帽子をかぶって。すぐ正体がばれ、マイクが回ってきた。

 その後も福島で、子どもを被曝(ひばく)から守る母親たちの活動を支援したり、玄海原発の再稼働に反対する佐賀県庁での抗議活動に加わったり。「客寄せパンダでいいんです」。現場に足を運び、取材も受ける。

 生活は一変した。予想通り仕事は激減。ツイッターに「原発関連の発言が原因でドラマを降板した」と書き込むと、ネット上で「降板させたテレビ局はどこだ」という犯人捜しが始まった。「関心の矛先がずれて喜ぶのは、国や電力会社。浅はかだった」

 降板の背景に、スポンサーからの圧力などがあったとは聞いていない。強いて言うなら、「現場の空気読み」だったのだろう。ある地方局の番組に出た際は、営業サイドが難色を示したという事実も知った。

 「調子に乗るな」と事務所に電話が殺到し、書き込みから2日後の5月末、事務所を辞めた。収入は10分の1以下になった。落ちる速さは、予想を超えた。

 芸能界に「反原発」と声を上げる人が少ないのがわかった気がした。そんななか、歌手の沢田研二さんが応援してくれていることをツイッターで知った。コンサート会場に反原発の署名用紙を置いていることも。

 「いまこの国が置かれた状況に対し、メッセージを発信してくれていることが心強く、うれしかった。僕にとっては今でもスター」

 後悔はない。「いま声を上げないと、この国の未来を諦めることになるから」

 先月18日、3カ月の契約社員として採用された太陽光発電システムの販売会社の入社式に出た。新調したスーツは、靴代も含めて3万円だった。

 私は、沢田研二さんのこの言葉にとても共感しました。

 還暦の前のあたりから「言いたいことを言わなきゃ」と思うようになった。

 「60歳超えたら余生。死ぬ準備をしているようなもの」だから。

 原発推進の人々でさえ多くの善き精神的影響を受けたであろうアーティストや、宗教家。

 それらの人々のほとんどは真剣に「脱原発」を主張しています。

 ある人は静かに、ある人は命をかけて。

 でもその思いの強さは変わりません。

 核廃棄物の処理ができない、さらに一旦事故が起きたら人間には制御できない「原発」「原爆」は、「人類の倒錯」であり「未来への犯罪」なのです。

 宮崎駿さんは、エプロンにプラカードをつるして散歩しているそうです。

 瀬戸内寂聴さんは今ハンストをしています。

 子どもの頃から私たちの心に多大の精神的影響を与え得た彼らが、なにゆえにこのような行動を取ろうとするのか。

 それに思いを致さなければ、何も読まず、何も観なかったとおなじことでしょう。

 それは「こころ」がとても貧しいということです。