写真のポジとネガ、光と影、表と裏。みんな同じものの片一方。どんなものにでもあるこの関係について、考えてみようと思い立ったのであります。無謀にも。。。
「なぜ、そんな小難しいこと考える必要あるの?バカみたい」という声が聞こえてきます。
まずはそのバカさ加減からお話を。
バカなんです。もともと。特に男はほとんど。
アリンコみたいに、せっせと無我夢中で「オモチャ」を造り続けたり、どうでもいいことを考え続ける本能を持った生き物なんです。
なにせ、人間にどこまでも似せたアンドロイドを造ろうと夢中になってるんですよ。
あるいは、タコみたいなエイリアンと会いたいのか、果てしなき宇宙へロケット飛ばしたがってるんですよ。
みんな、オモチャ遊びの延長みたいなもんです。
そんなことをしている人たちが英雄扱いなんです。
まともな女の人ならこう言うでしょう。
「どんなに精巧なアンドロイド造ったって、女性が産む人間に絶対かないっこないじゃない?」
「ロケット飛ばしていったいどこまで行くの?飯食えんの?」
オモチャ遊びの典型が「原爆」です。
男の子の遊びの花形は「戦争ごっこ」、こどもがそのまま大人になってつくったオモチャの究極が「皆殺し兵器」ですよ。
まともな女の人ならこう言うでしょう。
「なにすんの? こんなもんつくって。世の中めちゃくちゃにする気?アンタ」
それで悔しいのが男の「さが」。それならお前に喜んでもらうぞ、っていうんで「原爆」で発電です。ゲ・ン・パ・ツ
なんだかんだ、政治だ経済だ安全保障だと、アホな理屈をエライおんちゃんほどまくしたて、威張ったまんまを続けようとしています。
「迷惑なんだよな〜、そんなカッコウだけの『男らしさ』にこだわらないでよ〜、いいかげん」
と世の女性には咆えてほしいものです。
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前置きが長くなりました。
ポジとネガ、なんでこの話かというと「アート」のことからです。
私はこんなことを書きました。
「アート」は「美しいいものやこと」
「美しいものやこと」は「生命にとって善きものやこと」
これは人間、いや、社会にとって究極の「目的」ではないでしょうか?
「でも、ゴヤの『黒い絵』もピカソの『ゲルニカ』もあるじゃない。ムンクの『叫び』もあるじゃない。丸木位理の『原爆の図』もあるじゃない。。。これらは美しいと言えるのかい?」
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ここにこそ本日のテーマ「ポジとネガ」の本質があります。
「美しいものやこと」を希求するから「醜いものやこと」が見えるのです。
それは陽画と陰画のように、同じものを別な方向から描いたものなんです。
アートの感受性が高い人は陰画(ネガ)を見て陽画(ポジ)を視るのです。
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同じように一人ひとりの人間も皆「ポジとネガ」を併せ持った一体です。
「原発反対」も「原発賛成」も、違った人が喋っていたとしても、私たち一人ひとりが両方の言葉を発する存在なのです。
人間はもともと一人ひとりが独創です。だから一人ひとりがアートです。人生というキャンバスに描き描かれる。
そして、すべての人間、生き物は生命に対する強い欲求を持っています。
それが、考えの向きが異なると、ポジになりネガになるのです。
つまり「原発反対」も「原発賛成」も、生命への灼熱的な強い欲求に突き動かされた結果の、裏表の表現なのです。
どちらも自分がポジと思っているんですが。
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「原発賛成」も「原発反対」も、同じ「人間」の同じ「目的」、それのポジとネガということがわかれば、そこに別な可能性も開けるかと思うのです。
私は「反原発」の感性であり考えなんですが、自分自身の中にひそかにある「原発賛成」のネガと対話するのです。
「お前さんの気持ちも分かる。ほとばしる生命の喜びを求めて、今今のエネルギーの充足を求めているのだろう。その力があれば多くの命を救える、多くの喜びを生み出せると」
「何かあったときに無毒化したり回復できるならまったくそのとおりだ。あるいは廃棄物が安全に廃棄できるならそのとおりだ。それができないということにどう答えられる君は?生命の喜びどころか、その反対をなすことになってやしないかい?」
あきらめずに対話から調和へもっていきたいですからね〜。
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異質なものとしてポジとネガを見る立場から、同質な物としてポジとネガを見る立場へ。
こんな発想のヒントも「アート」について考えていたら出てきたんです。
でも、実はなんでこんなことを書いているかというと、原発賛成の人がまだ半分もいて、さらに政治経済界の高性能な?人々がほとんど「効率教原発派」であるというのが、とても空しくてくやしいからなんです。
何とかならないかな〜。何ともならないのはどうしてかな〜。と貧弱な頭で悩んでいるんです。
日々思いつくまま書いている、この「思索の雑記帳」で模索していきたいと思っています。
(参考)
アナログ的人間観