栄養価が高く風味も濃厚で少しづつしか味わえない高級チーズ。そんな本が『森の生活』でした。読み終えるのに三ヶ月かかりました。しかしその甲斐あり。私にとって「バイブル」になりそうです。
高級チーズの醍醐味は実際の本で味わっていただくことにし、ここでは著者ソローのユニークな人物像を描いてみたいと思います。
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ヘンリー・デイヴィッド・ソローは19世紀半ばのアメリカに生きた人です。
この本を読むまで、ソローとは晩年のトルストイのような白ひげを垂らした「仙人」みたいな人かと想像していました。
読了後は、同時代に生きたリンカーンみたいなゴツゴツした筋肉質な感じで、バイタリティーあふれるイメージが浮かんできます。
44歳で亡くなったわけですが、この『森の生活』は彼が30歳前後に書かれました。
「えっ?60才の間違いじゃないの」と言いたくなるほど、深く老成した文章に驚かされます。
ですから一行一行がとても濃くて、今や当たり前みたいになっている読書邪道、斜め読み飛ばしの「読んだつもり」ができない本なんです。
歯ごたえがあっていいな〜と思う反面、毎晩数ページ、いや数行の亀のごとき匍匐(ほふく)前進の読書だったわけです。
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それではソローとはどういう人かといいますと、とっても突っ張ったところのあるユニークな人だったようです。
まずは身近に感じるエピソードをひとつ。
私たちが日常使っている消しゴム付鉛筆、実はソローの発明だそうです。
父親が鉛筆工場をしていたので芯の改良などとともに、これも発明したようです。
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ソローは「非暴力主義者」であり、かつ「抵抗主義者」でもあり、「教育者」でもありました。
岩波文庫『森の生活』解説より
大学卒業後は故郷のコンコードに戻り、自分もかつて学んだ小学校の教師となった。
ところが生徒に体罰を与えることを拒否した彼は、それを強要しようとした町の教育委員会と真っ向から対立し、わずか二、三週間で学校をやめてしまった。
翌1838年夏から、彼は自宅で私塾をひらき、まもなくコンコードアカデミーの建物を借り受けて、兄のジョンとともにその運営と教育に専念した。
のちに「若草物語」の著者となったルイザ・メイ・オルコットなどもここに学んでいる。
・・・ソロー兄弟の教育法は時代を先取りするもので、当時としては一般的だった体罰などを課することはいっさいなく、つとめて戸外での授業や観察をおこない、知識を実生活に結びつけることに重点を置いていたといわれる。
・・・ソロー兄弟の学校運営は順調であったが、1841年に兄ジョンの健康が悪化し、二年半で閉校せざるを得なくなった。
この頃牧師の娘に恋をし、相思相愛となりましたが、宗派の違いを許さなかった先方の親から求婚を退けられ、その後一生独身を通しました。
1844年の秋ソローはウォールデン湖周辺の森を破壊から守ろうと土地の一部を買ったエマーソンの同意を得て、湖のほとりにあの有名な「小屋」を建て二年二ヶ月二日間にわたる独居生活を開始しました。そのとき執筆したのが『森の生活』です。
反骨精神あふれるソローの逸話があります。
湖畔に住みはじめてからちょうど一年ほどたったある日、修理に出していた靴を受け取りに村へ出かけてゆく途中で、彼は知り合いの収税吏兼保安官サム・ステイプルに呼びとめられ、ふたことみこと話を交わしたあと、逮捕されて、コンコードにある郡の刑務所に投じられた。
理由は、彼が六年間にわたって人頭税の支払いを拒否していたことにあった。
ソローがこうした挙に出たのは、奴隷制度を支持しメキシコ戦争を推進するアメリカ政府に抗議するためであった。
・・・ソローによれば、国家というものは元来、国民が平和に暮らすための単なる方便にすぎないものであり、個人の自由を、まして良心を左右する権限はまったくもたないのである。
もし国家と個人のあいだに相克が生じた場合は、市民は納税の拒否といった平和的手段によって、国家の不正に抗議する権利を有する、というのである。
ソロー逮捕の知らせはたちまち親類縁者や友人たちのあいだにひろがった。その晩エマーソンが刑務所に駆けつけ、「ヘンリー、どうしてこんなところにはいっているんだい?」とたずねると、ソローが鉄格子の中から「ウォルドー、あなたこそどうして外にいるんですか?」と応じたという逸話は、真相はともかくとしてエマーソン家に長く語りつがれてきた有名なものである。
リンカーンの奴隷解放宣言は、この日から16年後、奇しくも彼が亡くなった1862年のことでした。
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彼の膂力(りょりょく)にも驚かされます。
あのソローの小屋は一人で作ったものです。
実は、最初に地下室を掘ったのです。
その大きさは縦横2メートル、深さ2.5メートルなんですが、彼はそれを二時間くらいで掘ったんです!
また小屋のシンボル、あの暖炉には千個のレンガが使われているんですが、すべてもらいもので木製の手押し車でせっせと運んだんですね!
彼の強靱な筋肉が、強靱な精神を生み支えたのではないでしょうか?
さて、彼が湖畔の小屋暮らしをしようと思ったのはなぜか?
岩波文庫『森の生活』<経済>より
人類の幼年時代に、あるとき冒険心に富んだ人間がいて、岩窟のなかにもぐりこみ、雨露をしのいだと想像される。子供というものはみな、ある程度まで人類の歴史をはじめからやりなおしているのであり、雨や寒さをものともせず、戸外にいることを好む。ままごともすればウマごっこもするのは、そうした本能をもっているからだ。
幼いころ岩棚や洞窟の入口を見たときの、あのわくわくした気持ちをおぼえていない者がいるだろうか?
それは、われわれの内部に、いまでも太古の祖先の一部分が生き残っていて、おのずからそうしたものにあこがれていたからである。
われわれの屋根は、洞窟からはじまって、順次、シュロの葉、樹皮や枝、ひろげた亜麻布、草ぶきと藁ぶき、板ぶき、石ぶきや瓦ぶきへと進んできた。
ついに人間は、戸外生活がどんなものかわからなくなってしまい、その暮らしは自分たちが考える以上にいろいろな意味で家庭的なものになつている。
暖炉から畑までの距離はすっかり遠くなってしまった。
もしわれわれが、自分とかずかずの天体とのあいだをさえぎるものとてない戸外で、もっと昼も夜もすごすようになり、詩人がいまほど屋根の下からものを言わず、聖者が長いあいだ屋外で暮らすようになれば、どんなにかすばらしいことであろう。
小鳥は洞窟のなかでは歌わず、ハトも鳩舎ではあどけなさを保てないものだ。
そう、それはこの文章にあるとおり「あのわくわくした気持ち」に他なりません。