日曜日、久しぶりにゆっくり朝刊を読みました。じっくり読むとじっくり頭に入ってきます。「勉強」についてためになる記事がいくつか載っていました。
現在というか、それこそ小学生時代から、私の勉学とは「便学」でした。
そして大人になってからの教科書は、雨の日も風の日も休まず届く「新聞」です。
(そのせいか?5-6年前から、末端の大事な器官が少しドロップアウトしてきましたが。。。)
ところが最近「便学危うし!」の状況に至りました。
女房から衛生上「朝便新聞禁止令」が発令されたのです。
「う〜〜む、朝がだめなら昼があるさ!」
そんなわけで、昨日の日曜日はゆっくり「昼便学」にてゆっくり紙面を読みました。
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「勉強」を広義にとらえれば、人生そのものがすべて勉強といえるでしょう。
ここでは、学校の勉強についてだけ考えてみたいと思います。
小学校低学年なら、頭の中は何も書かれていない真っ白な白板。
見たこと、読んだこと、教えられたことが自由に生き生きとどこにでも描いていけます。
ところが学年が上がるにしたがって、白板がいっぱいで描くスペースが足りなくなってきます。
描き直したり、コンパクトに描いたり、あれこれ工夫しないと追いつきません。
それに競争とやらも厳しくなってくるし。。。
ということで、「いったい何のためにこんなに勉強しなくちゃならないんだろう?」と、ほとんどの人は思ったことがあるのではないでしょうか。
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そう思わない(思えない)人も中にはいます。
白板のスペースがやたら大きい人、小さく描けるマーカーを元々持っている人たちはそんな疑問はあまり持つことはありません。
実はそれこそが問題だったりもするわけですが。。。
己の好奇心、知的能力の赴くまま、立ち止まって「何のために?」なんてブレーキを踏むことなどありえません。
それらの優秀な人たちが、免罪符を与えられたがごとく、何の疑問も持たず「科学の発達」「経済成長」とやらを追いかけ続けます。
それが社会や地球に悲惨な結果をもたらそうとも、彼らは相変わらず「かけっこ」だけにしか興味は持たないようです。
そう考えると、学ぶことに能力的な限界を感じ、「勉強って何のため?」と問う凡人こそが、実は社会や地球の存続にとって貴重な「種族」なのでは?と思えたりします。
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勉強に疑問を持たない人は、えてして相対的競争に没頭します。
それは「相対的な性能」を追い求めることで、結局「人に使われる能力」を増していくだけになります。
利益と効率を追い求める権力者の重宝な道具として、その才能を発揮する人生になっていきます。
勉強に疑問を持つ人は「創造する能力」のほうに興味を抱いていきます。
そもそも人がすでに考えたことを理解するのが難しいので、自由気ままの「独創」を追い求めていくわけです。
ですから「勉強」というものへの疑問を通して、大人は、同じ見かけであっても二つの系統に分かれるということになりますね。(いつものように極論ですけど)
現代の問題とは、私たちの多くに影響する諸決定が「相対的性能」の高い人たち、その「競争的価値観」によってのみ為されているということではないでしょうか。
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さて、数年後には孫から来るであろう質問、「なぜ勉強するの?」
今から、その受け答えを「勉強」しておかねばなりません。
2013.10.27 朝日新聞
「なぜ勉強するの?」 生物学者 池田清彦
皆さんの中には勉強なんかしたってしょうがないよ、と思ったことがある人もいるでしょう。むしろ一度も考えたこともない人の方が珍しいと思います。勉強をするのは、一流大学を卒業して、大企業に就職し、安定した生活をするため、と成功した大人はしたり顔で答えるかもしれません。でも、スティーブ・ジョブズのように大学を卒業しないで、大成功した人もいます。では何のために勉強するのでしょう。
苫野一徳『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)は、新進気鋭の教育学者が、古今の哲学者たちの思想を援用しながら、学びの本質について思索した、とても読みやすく、しかもなかなか味わい深い本です。勉強する意味は、人それぞれで、万人に共通する正解はない、と苫野はまず言います。それでもあえて言うなら、自由になるためだ。それが著者の答えです。何だ正解があるじゃないか、と思ってはいけません。自由は万人に共通する正解ではなく、自分にとって一番望ましい状態のことです。自由を得るためには力が要る。そのために勉強する。シンプルだけどステキな考えだと思います。
(中略)
最後に紹介するのは、内田樹『修業論』(光文社新書)。修業とはあらかじめ設定されたゴールを目指して努力することではなく、一生懸命やっているうちに、昨日の自分と違った自分になっていることに、気づくことだ。勉強も実は修業と同じだ。勉強をしなければ自分の新しい可能性を発見することができず、つまらない人生になるよ。
内田樹さんの意見はいいですね〜。
「毎日違う自分になっていくのって、一番楽しいぜ!」って言ったら未来の孫も納得するかな〜?
「じいちゃん、よくわからないけど毎日楽しくなるんなら勉強大好きさ!」って感じかな。(とらぬ狸の何とやら?)
天声人語に書かれていたこともおもしろい。
2013.10.27 朝日新聞
天声人語
「知の巨人」と形容させていただくことにする。大げさだとは思わない。精神科医で神戸大名誉教授の中井久夫さん(79)である。統合失調症の治療や研究で名高い。阪神大震災では心のケアに力を尽くし、おととい文化功労者に選ばれた
臨床を大切にする医師でありつつ際立った文筆家でもある。ギリシャやフランスの詩を翻訳し、文学賞も受けた。その視野は誠に広大で、戦争と平和についての鋭利な「観察」や、「ひととしての」昭和天皇論といった重厚な論考も多い
昭和9年生まれの中井さんは恐るべき子どもだったらしい。敗戦後、集めていた切手を売り払いラテン語の独習書を買った。西欧の同世代がライバルだと思っていたという。高校時代には、高名な哲学者の蔵書で英独仏の文学に親しんだ
そんな中井さんが少年少女に向けた読書案内を書いている。異色の内容である。いわく、教室で輝きすぎるな、一番になんかなるな。児童生徒の間にもやっかみはある。〈あなたは今花咲く必要はない〉。そして一目置く同級生を宝とせよ、と
推薦図書の名前を挙げているわけではない。総じて背伸びの勧めといっていい。なかで思春期の男女への最高の贈り物かと思えるのが次の言葉だ。〈読書は、秘密結社員みたいにこっそりするものだ〉。そうだ、10代の頃はそういう感じで本を読んでいたのだとヒザを打つ
きょうから読書週間である。知の巨人をめざさなくても、中井さんのようなみずみずしい感覚は学びたい。
一番になんか決してなれない子に「決して一番なんかになるな」って言ったら、かえってイキイキと勉強するかもしれないな〜。
こういうコラムに登場する方々は性能優秀なおかつ能力優秀な(実にまれな)方々ではありますね。
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さて凡人種族の私たちではありますが、「性能」向上は太刀打ちできなくても「能力」向上はだれでもができるんじゃないかと思うんです。
「工夫、改善、改良、独創」は、すべて創造の兄弟です。
この世に「工夫」すら必要がない仕事などありませんし、創造に競争などないんですから。
そこに一人一人等しく希望が生じるじゃないですか。
「勉強って実はそういうことだよ、楽しいことだよ」って、学校でも先生方が自由に言える社会にしていかないとね〜。
人生の楽しさを知る能力を得るべき学校を、勝手に「日の丸印超高性能国家ロボット」製造工場なんかにしてもらいたくないもんですよ。
ね〜アベちゃん、橋やん。
参考
ノボ辞典「能力」「性能」