小野田寛郎「生きる」より

 終戦を知らず30年間もルバング島のジャングルで生き抜いた小野田寛郎さんが先月亡くなりました。彼の遺作となった『生きる』を読みました。

 小野田寛郎さんは終戦の一年前、陸軍情報将校としてフィリピンに出征しました。
 
 私の父は小野田さんより二歳下、終戦の年の1月、北朝鮮羅南に陸軍山砲隊として出征し、その後三年半シベリアに抑留されました。

 この時代の方々の特徴というのか、二人に何か似たところを感じ、この本を買い求めました。

 似たところというのは、姿勢の良さや筋のしっかりした身体、強い自立心、何よりも「生きる」という執念です。

 場所も期間も異なりますが、戦争という時代に翻弄され、かたや炎熱のジャングル、かたや酷寒の収容所という修羅場で生き抜いた経験は共通するように思えます。

 その経験は地獄の烙印のような記憶とともに、その後の人生を生き抜く支えともなったようです。

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 小野田さんほど長い期間ではないですが、終戦後同じような過酷な経験をされた方がいます。

 ジャワ島のジャングルで行き抜いた横井庄一さん。

 ニューギニア戦線で生死の境をさまよった水木しげるさん。その経験は彼の漫画で読みました。

 同じくニューギニアで8年間ジャングルで生き抜いた方の手記『私は魔境に生きた』も読みました。

 比べれば、小野田さんは一番律儀で帝国軍人の威厳を保っているようなかっこうよさがありました。

 他の人たちは、獣のように泥まみれで逃げるという、実にかっこうわるい感じです。

 しかしかっこうよい、わるいに価値の差があるとは私には思えません。

 「生きる」という執念だけが、彼らの唯一の目的であり、唯一の支えだったのですから。

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 小野田さんを帝国軍人の鑑と見なし尊敬する人も多いようです。

 彼自身、備えを怠らない国防こそ大事と語っています。

 しかしそれは単純に「国家のため」ということではないようです。

 本文には次のような文章があります。

 欧米の個人主義というのは、長い歴史の中から生まれてきた筋金入りのものである。個人と集団を比べれば、個人は絶対に集団に勝てない。自分や家族の生命と財産を守るためには、国家というものが絶対に必要。こういう認識が欧米人にはある。だから、欧米人にとっては、もともと「個人主義を守るための国家」なのだ。これが昔から何となく大家族主義でやってきた日本とは全然ちがう。安易な個人主義が民族の弱さを生んでいるのではないか。

 彼は、一人一人が人間本来の野生を取り戻すことがたくましさにつながるはずであり、それが個人主義の原点であり、そのためにこそ国家があるのだと語っています。

 まず個人の自立ありき、私も同感です。

 さて、もうひとつ共感した文章がありました。

 それはこの本の「前書き」です。

 端的に言って、今の日本人からはたくましさが消えた。その一つの現われが平和ボケである。すべてが安全だと脳天気に信じきっている。危険ということを一つも考えない。よく携帯電話を見ながら駅のホームや道を歩いている人を見かける。事故にならなければいいがと思っていたが、案の定、ホームから落ちたり自転車にひかれたりする事故が起こっているという。

 ジャングルの中では、自分の身は自分で守るしかない。健康を損なっても、医者がいるわけでもないし、薬があるわけでもない。自分が一瞬でも判断を誤れば、敵に殺されてしまう。常に神経を研ぎ澄まして注意していないと、即、死につながる世界である。

 こういう体験をしてきた私から見ると、日本人はなんと脳天気なのかと思う。三度も大震災を経験して、原発事故も起こったというのに、まだ懲りていないように見える。一方で、若者が引きこもりになったり、キレて犯罪に走ったり、自殺してしまったりと、人生を放棄してしまう人が跡を絶たない。

 私には、この脳天気さと人生放棄は同じ根のように思える。いずれも、人間が本来持っていた野生を失った結果だと思うのである。

 小野田さんは、震災や原発事故について「まだ懲りていないのか」と書いています。

 彼にとって「原発」は「平和ボケ」なのです。

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 「平和ボケ」という言葉は左右どちらも使う言葉です。
 
 何が危険と思うかの違いがあるだけです。

 私は小野田さんの言うとおりだと思います。

 いったい何が危険であり、何が危険を避ける方法であるかは、自らが「野生を回復した人間」となって、初めて判断できるものではないでしょうか。