内職のおばちゃんブランド

 自分が書いた文章にハッとさせられることがあります。たまには涙ぐむことさえ。描かせていただいたことに感謝です。
 「みんなの独創村」にこの記事を載せたのはもう3年前になります。

 でも自分自身この話がとても好きなんです。

 「どんな仕事にも独創はありうる」ことを教えてくれたからです。

 「ガイアの夜明け」というテレビ番組をみて思わず涙が出ました。倉敷にある小さな縫製工場のお話しです。


 職人一筋の社長は、職人の魂を大事に持ち続け、細々ながらも質の高い服やズボンを作り続けていました。その社長を支えているのは何十年も仕事をともにしてきた内職のおばちゃんたちです。



 そんな彼の元にある日、評判の子供服ブランドを立ち上げた若干28歳の若社長が訪れました。

 彼はこう提案しました。日本から縫製の灯を消した中国に、逆に日本から職人技の製品を持って乗り込もうというのです。

 何とか日本に縫製の灯を保ち続けたいと願う職人社長は引き受けました。関税も含めた不利な価格競争に立ち向かう手段は、集団就職以来何十年もミシンを自分の体のようにして働いてきた、内職のおばちゃんたちの神業的に熟練した手早い作業でした。

 当初内職のおばちゃんたちは及び腰でした。私たちは皆高齢であとを継ぐ人もいない。あと何年かしかできないのではないかと。社長は言いました。私たちが何もしなければ後を継ぐ人は出ない、しかし魅力を創れたらきっと継ぐ人が出るだろう。

 そして中国で販売が始まりました。しかし、どんなに頑張っても中国製の二倍の値段が精一杯でした。最初は中国の人たちも買うか買わぬかとても迷う人が多いのでした。ところが、一人っ子政策で子や孫にはお金を惜しまない風潮や富裕層が増えてきたことなどから、値段より手造りの質の高さを評価する人も多く、どんどん売れるようになってきました。


 ある日、縫製工場の社長が内職のおばちゃんを訪ねました。そして一人一人の名前が入ったハンコを渡しました。これを自分が縫製したズボンに押して納めてくれと言って。このとき、内職のおばちゃんの目から涙がこぼれました。




 内職の作業が職人の仕事に変わったのです。

 おばちゃんの名前がブランドになったのです。

 どんな仕事にも独創はありうる、私はこの番組を見て心から確信しました。

 →みんなの独創村