防潮堤のジレンマ

 3.11で壊滅的な被害を被った岩手県大槌町。津波に備えてすでに築かれていた高さ6.4メートル長さ約2キロの防潮堤を乗り越えて津波が押し寄せました。破壊された防潮堤の今後をどうするか、昨日のテレビで住民の話し合いの様子が映されていました。
防潮堤への過信

 吉里吉里国のモデルとも言われている大槌(おおつち)町は、巨大な防潮堤に守られた三陸沿岸の町でした。

 巨大な防潮堤をまさか津波が超えてくるとは多くの住民が思いもしませんでした。

 ところが津波は防潮堤の高さをはるかに超え、12メートルにも達したのでした。

 防潮堤を信じて逃げずにとどまる人も多く、千数百人もの方が亡くなりました。

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鮭が戻らなくなるのでは

 テレビでは、その後の防潮堤建設計画について、コーディネーターの方や学者の方々も交えた住民の話し合い風景を映していました。

 国が用意したプランは総額260億円もかけて、百年に一度の大津波に耐える高さ14.5メートルの防潮堤を築くというものでした。

 津波から自分たちを必ず守ってくれそうな巨大な防潮堤計画は、当初多くの住民たちが賛同していたようです。

 しかし、そのプランに対して懐疑的な住民もいました。

 彼らは膨大な工費、その後の維持費、風景の喪失、生態系の変化などを心配していました。

 また漁業関係者にも危惧する人が多くいました。

 生態系の変化により「新巻鮭(あらまきざけ)」発祥の地である大槌町に鮭が戻らなくなるのでは、と心配していたのです。

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二つに分かれた意見

 町の意見は二つに割れました。

 懐疑派の住民数名が、このまま行政の言うとおりにして住民の間に禍根を残さないかと強く心配しました。

 また、子孫に負の遺産を残すことにならないかと考えました。

 そこで彼らは国のプランに対してほかの選択肢はないのかを探し、住民どうし対話を尽くそうと考えました。

 そのワークショップの様子が番組の内容でした。

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住民同士の対話

 地元住民ではないのですが、復興支援NPOを組織し、被災以来ずっとこの地域の支援活動を続けている若者がコーディネーターとなって会は進行しました。

 巨大な防潮堤賛成派、懐疑派ともに「論争」ではなく「対話」形式で意見を述べ合いました。

 当初計画を立案した大学の先生、別なプランを持つ研究者などのプレゼンを入れて、住民が客観的に判断しやすい工夫をしました。

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高知県黒潮町の対策

 何よりも私自身が一番参考になったのは他の町の事例についてでした。

 そのうち、高知県の黒潮町では、南海トラフ大地震の想定津波が34メートルを超えるということで防潮堤建設は実質不可能という結論を出し、それに代わる代替策を複数組み合わせる対策をとっていました。

 それは、避難路の整備、避難タワーの整備、住民同士の助け合いの仕組みなどでした。

 ハードだけでは決して大災害は防げない。

 ハードとソフトを組み合わせること、さらに「住民が常に用心するしくみ」を継続すること、これらのミックスなのでした。

 役場の担当者は語っていました。

 「特に住民防災ワークショップは永遠に続くでしょう。それこそが最大の対策であり、コミュニティーの維持にもつながるのです」

 住民ミーティングは、なんと!ここ一年半だけで500回も開かれたそうです。

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奥尻島の教訓

 もう一人若き女性で防災を専門とする先生のプレゼンがありました。

 この方は北海道奥尻島出身の方でありました。

 奥尻島は1993年、大津波により沿岸の町は大きな被害を被り二百数十名の死者を出しました。

 この方は当時中学生であり、この時の経験から防災学を専攻したそうです。

 故郷奥尻島の防潮堤建設はまさに大槌町の今とまったく同じ状況でした。

 やはり三百五十億円ものお金をかけて巨大な防潮堤が築かれましたが、その後どうなったかという話をされていました

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建設後の町の疲弊

 工事が終わったのは5年後。何もかも元にもどり安泰のはずでした。

 ところが町の人口は激減し、施設維持に耐えるのも困難な財政事情になってきたというのです

 原因は、巨大防潮堤建設による生態系の変化で漁獲量が半減し、漁業従事者が流出したのが一番だそうです。

 そのほか、工事の時には多くの働き手が町にいて大いに景気を賑わしてくれたのですが、工事が終わった5年後からピタッといなくなり、町はシャッター通りとなってしまったようです。

 巨大城壁のような防潮堤を築けば終わりというものではなく、それらを造った後の町づくりまで視野に入れないと同じことになると忠告していました。

 住民の方はし〜んとして聴き入っていました。

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別なプラン

 この後、巨大防潮堤に代わる二つのプランが示されました。
 
 ひとつは防潮堤の高さはほどほどにして、防潮堤の後方に防潮林をつくるというものでした。

 もうひとつは、やはり防潮堤の高さはほどほどにし、沿岸より奥にある高地に、岩盤を削って特にお年寄り用の居住区を整備するというものでした。

 このプランは施設の屋上が高地の頂上部とほぼ水平になっていることが特徴で、屋上がそのまま避難路になるというものでした。

 どちらも津波の第一波を遅らせるための防潮堤の役割を認めたうえでの提案でした。

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町の未来をどうしたいのか

 これらのプレゼンの後、住民どうし何チームかに分かれ話し合いが行われました。

 そのテーマとは、「町の何を大切にしていきたいか」ということでした。

 津波を防ぐということから、自分たちの町の未来をどうしていきたいのか、にテーマは変わりました。

 映像を見ていて、参加している住民の顔も最初より前向きなように感じられました。

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どの町も同じ問題を抱える

 防潮堤の件は大槌町だけの問題ではありません。

 わが宮城県三陸の各市町村でもまったく同じ問題を抱えています。

 せっかく予算がついたのだから今使わないと二度とこんな予算は望めないという行政の都合もあります。

 目下の景気を良くしたいという建設業はじめ住民の思惑もあります。

 ですから、必ずしも未来にとって最善のプランが採用されない可能性も高いといえるでしょう。

 原発でさえ元に戻ることに大きな反対もなく流されざるを得ない状況を考えれば少し悲観的になってはきます。

 しかし、たった一つの町だけでも他とは違うプランを選べば、将来、結果はだれの目にも明らかになる日が来ることでしょう。

 放射能の問題とは異なり、防潮堤は未来においてもまだやり直しがきくものでしょう。

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貴重なワークショップ

 この番組を見て住民の勉強会、いわゆる「ワークショップ」というものの効果について改めて認識しました。

 私たちの国民性かもしれませんが、何事も「お上頼り」の傾向が強いように思えます。

 「お上(政治や行政)」が考えてくれるから、やってくれるから」という傾向です。

 ほんとうは様々な選択肢があるのに、お上が提示したことに賛成か反対かとすぐに二分法を迫られ、考える余裕もなく従ってしまいがちです。

 しかし、今回のワークショップのような機会が数多く催されれば、そこでメリット、デメリット、他の選択肢、他の事例などを一人一人が知ることができます。

 その結果、「自分たちのことは自分たちのために自分たちが選ぶ」ということにつながるし、住民ボトムアップも図れることになると思います。

 お上のトップダウンに従っただけの施策は、考えることもなく、お金も潤沢で、立派そうにも見えます。

 しかし、そういう施策が決して地域振興にはつながらないことの例は、身近に数多くあるのではないでしょうか。

 ここまで書いてきて、私はデンマークのロラン島の話を思い出しました。

 住民が何度もワークショップで対話を重ね、独創的なエネルギーシステムで地域振興を実現した例です。

   →感動!ロラン島の風力発電

 幸せの未来は、自分たち自身が主役にならなければ決してつくれないと思います。

 私たちの幸せにつながる選択をするためには二つのことが必要だと思います。

 ひとつは「ワークショップ」という「気づきの場所」の拡充。

 もうひとつは「早く、速く!の呪縛」から自分たち自身を解き放す勇気と忍耐です。