先日、遠くからいらした友人と談笑しました。とてもちっちゃな自然派レストランのテラスで茶を飲みながら、木々っていいね〜と語り合いました。
友人は半年前に東京から秋田県北部に移住した方です。
秋田といえば有名なもの数多くあれど、「秋田杉」も代表的なひとつでしょう。
以前と比べだいぶ需要が減ってしまったそうです。
有効な使い道を仲間で模索しているらしく、秋田杉の「樽」作りの話を聞きました。
のどかな春の日のテラス、そんな話をとりとめもなくしていたら、あっというまに一時間以上も経っていました。
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帰宅して開けてみた郵便物。
それは、今日行った場所の近くにある「ログハウス展示場」(メーカー)から届いた季刊誌でした。
その特集タイトルが「やっぱり 木はいいなあ」。
ページを開いていくと「樽」のことが書いてありました。
元々塩づくりが盛んだった小豆島は、塩を原料とする醤油の四大産地のひとつ。
そんな”醤の郷″で、創業百五十年、五代目として木樽による醤油づくりにこだわってます。
生産性などから今やプラスチックタンクが主流で、木樽での醤油づくりは全国で一%未満。
だけど、木樽には百数十年前からの酵母菌や乳酸菌が棲みついて複雑に絡み合い、木樽ならではのうまみ、コクを醸してくれる。
まさに自然の恵み。
さらにページをくくれば「まな板」のお話し。
「まな板」の材質ってこんなにあって、製作にこんなに年月がかかるのか、と驚きました。
トントンと台所に響くまな板の音は、日本人にとつて、どこか懐かしく、心がふっと和みます。
まな板の「まな」とは「真菜」または「真魚」(川魚)を指します。
今では「菜」といえば野菜のことですが、古くはおかず全般を「莱」と呼んでいました。
やがて「真のおかず」、つまり魚や鳥獣などの栄養価の高い動物性食品を意味するようになり、その「真菜」を切るから「まな板」と命名されたと言われています。
本格的なまな板は、1枚作るのに7〜10年かかると言われます。
丸太を製材し、倉庫で2年、屋根裏に保管し反りやねじれを出すのに3〜5年。それからやっと仕上げに入るのだとか。
切れ味を重視する刃物に対し、絶妙なサポートをするのがまな板。
いいまな板は包丁との相性で決まります。
固く摩耗に強いケヤキは、出刃で魚をおろすときに。
適度な弾力性で、刃当たりも刃離れもよいイチョウは、繊細な作美に。
ヒノキは乾燥に強く水切れに優れ、清潔感を保つことができます。
木が豊富な国だからこそまな板の種類もさまざま。
トントンと響く台所の音は、どうやら山の音でもあったよう。
最近ではプラスチック製のまな板も多く出回っていますが、音、手触り、刃当たりと、無垢の木の味わいを楽しみながら、まな板を使いこなしてみたいものです。
年々「年輪」のようなしわが増えていくせいか、人は歳をとればとるほど「木」との相性がよくなるようです。
この冊子に書かれていることの受け売りなんですが、
木に触れると落ち着くのは人類の記憶によるものだそうです。
類人猿が猛獣や細菌などから身を守るためや、果物などの食料を得るために、樹上にすみかを作った記憶が私たちに残っているのだそうです。
今、木の家がなぜ少なくなったのか?
それは争いや戦いが増えたせいとのことです。
民話「三匹の子ぶた」のとおり、窓が小さいレンガの家、つまり「戦いに負けない建築」が現代の主流となってしまったのです。
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それと「木の家」って、コンクリートよりも寿命が短いという誤解がありますね。
1300年前に建てられた木像の法隆寺が現存するように、木はとても寿命が長いのだそうです。
それに比べてコンクリート造りは「中性化」という現象が起こるため、100年持たないんだそうです。(びっくり!)
それに理論上では100メートル以上の高層木造建築物も十分可能らしいです。
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この冊子にはこのようなことも書かれていました。
木の家がたくさんある日本は、平和だということです。
閉じた環境ではなく、開かれている。
自然もお隣さんも仲間。
仲良くする知恵が生きているんですね。
ということは、現代日本の(険しい)雰囲気は木の家が減ってきたことと無縁ではない?
まさに孟母三遷のごとく「思想の前に環境あり」だな!なんて感じました。