「正しい答え」と「現実的な解」

 仕事にすぐ役立つ(らしい)実学偏重の日本で、おまけのように考えられてきた「教養」。今その価値が見直されはじめています。
 『池上彰の教養のススメ』を読んでいて、とても興味深い記事と出会いました。

 本書に、男子と女子では問題解決のアプローチが違うというお話しがありました。

 さらに男子は女子を見習うべきだとも書かれていました。

 ハットさせられたので紹介いたします。

 (読みやすいように小見出しを付けました)

「ケア」という視点

 上田:・・・それから第4のCが、先ほどから触れている 「女性」性とも大きくかかわる、ケアです。

 ケアについては、東大教授の川本隆史さんの著書『哲学塾』(岩波書店) から、ある事例を紹介したいと思います。

 ハーバード大学にかつてローレンス・コールバーグという心理学者がいました。

 彼は子どもたちの知識の発達を6段階に分けて評価するために実験をしています。

 まず、物語を聞かせます。

 こんな内容です。

ハインツの犯罪

 「ハインツという男がいます。

 ハインツの奥さんはガンで死にかかっています。

 お医者さんは最近売り出された特効薬を使うしかないと言っています。

 その薬の開発者は、開発費の10倍の値段を付けているため、薬はとても高価です。

 ハインツは募金を集めましたが、値段の半分しか集められませんでした。

 ハインツは開発者に交渉しましたが、色よい返事をもらえませんでした。

 ある日ハインツは、愛する妻のため、薬のある倉庫に忍び込み、盗み出しました」

コールバーグの結論

 さあ、この行為をどう考えるか。

 子どもたちに答えさせます。

 コールバーグは、男の子はより高い段階で判断を下していてスコアが高く、女の子は判断が下せずに、スコアが低いという結論を導き出しました。

 中には「開発者の所有権とハインツの奥さんの生存権のどちらが高いかという問題だから、そこを決定すれば正しい答えが出る」などと大人顔負けの論理を導きだす11歳の男の子まで現れます。

答えは出せなくて当然

 ところが、この結果に反発したのが、コールバーグの論争相手として知られる倫理学者のキャロル・ギリガンです。

 この物語で設定した問題は、現実に起きたとしたら算数のように一つの答えで解けはしないのだから、「答えは出せなくて当然」というわけです。

 ちなみにコールバーグの実験ではスコアが低いとみなされてしまう、11歳の女の子の答えはこういうものです。

 「製薬会社をちゃんと説得する方法はないものだろうか、もっとお金を集めることはできないのか。奥さんのためにと盗みを働いた夫が捕まったら、自責の念にさいなまれた奥さんは病気が重くなつてしまうのではないか……」

 11歳の女の子はこういったプロセスを考えていて、結論が出せませんでした。

ギリガンの指摘

 コールバーグのやりかたではこの11歳の女の子の発達段階は低いと評価されてしまいます。

 でも、ここで11歳の女の子が思いを巡らせているのは、ガンで死にかかっている奥さんを救おうとしているハインツのとった方法が正しかったか間違っていたか、についてではありません。

 ハインツの奥さんが助かるにはどうしたらいいだろうか、という具体的な状況に対するコミットメントのあり方であり、結果としてなるべく誰もが傷つかないで、最良の結果=奥さんが助かる道筋を円滑に見つけてこうとすること、つまりケアの仕方なのです。

 そこまで思いを巡らせたがゆえに安易に答えを出せなかった11歳の女の子を「発達段階が低い」と断ずるのは間違っているのではないか?

 それがギリガンの指摘でした。

「正しい答え」にこだわる男子「現実的な解」を探す女子

 池上:男の子が物語の枠組みの中での「正しい答え」を見つけるのがうまかった。

 けれども、女の子は「正しいか間違っているか」よりも、現実にこうした問題が起きたときにどうすれば誰も傷つかずにうまくいくかまでをも考え抜こうとしていた。

 実社会で、どちらが有効なのか、という問いにつながりますね。

 上田:はい、その通りです。

 僕も大学時代、女性とちゃんと付き合っていなかったころは、ひたすら「正解を決めればいい」と思っていました。

 男子はややもすると正解を求めることが自己目的化する。

 だから「正しい」「間違っている」を決めたがって、そのあとは誰かに任せたがる。

 でも、女性と付き合うようになれば、現実社会では正解を決めているだけではダメで、コミットして、その間題に飛び込んでいく必要が多々あることに気づきます。

 そんな「現実」を早めに知るためにも、東工大の男子たちはもっともっと女の子と付き合うぺきだなあ、と思うのです(笑)

現実は二択問題ではない

 池上:まさにさきほどの「決められた枠組みの中では正答は出せる」というのは、前提条件が変わってしまうと役に立たない能力に陥る、という話と同じですね。

 現実はたとえば、ガンの特効薬の所有権かガンに罹った奥さんの生存権かの二択問題ではない。

 上田:そうです。もちろん男女内でも個人差がありますから、男はこう、女はこう、と決めつけるのも危険なのですが、与えられた問題の解だけを考えがちな「男性的」思考が行き詰まりをみせていて、その間題の外側までをも想定して、新しい解を自由に創造していく「女性的」思考のありかたが今こそ求められていると言えそうですね。

 たしかに親の介護やら子供のことなど身近なことを考えれば、「正解」なんかない(見つけられない)ということに気づかされます。

 そんな「あいまいなことだらけが人生なんだよな〜」としみじみ思えるこの頃です。

 会社人生活で染まった「二者択一」「選択と集中」の呪縛から早く抜け出さなくては。。。