江合川(えあいがわ)の合戦

 幼き頃から「戦い」は男の名誉とされてきました。ガキ大将に逆らうことなど誰もできませんでした。
 私たちが小さかった頃は、子供の世界も「常在戦場」でした。

 命令に従わない子は(軽い)シカトやらリンチやら。。。

 それでも障害が残るような大きなけがをさせたり、ましてや死なせてしまうなどは絶対にありませんでした。

 ガキ大将はじめだれでもが、それは「取り返しのつかない犯罪」ということをしっかりと認識していたからでした。

 それとその頃は、誰もがどこかで輝ける場がありました。

 勉強ができるとか、運動会で足速いとか、家の広い庭を基地に差し出すとか。

 だから今でも懐かしい思い出話として、みなで語り合えるのです。


(スーパーカブ)

ノボ・アーカイブス

江合川の合戦


 東京オリンピックの一年前、私が小学四年生の頃だった。あの頃は力の強い奴がヒーローだった。それに統率力と遊び頭もそなえた奴がガキ大将になれたのだ。ガキ大将は時々自分の力を皆に示しておく必要があった。仲間うちでの制裁と、他の集団との戦いで。


 季節は秋だったろうか?ガキ大将の腕の見せ所がやってきた。この時のわれらがガキ大将は「ひろちゃん」だった。私が仕えたガキ大将の二番目である。われわれの遊び場、そして今でも心の故郷、「江合川」をはさんで石合戦が始まったのだ。


 川幅は三十メートルくらいだったかな?川向こうの連中は、同じ町ではあるが小学校が違う。それに、われわれは「町っこ」で、向こうは「田舎っこ」だ。どちらも文化が違うのでお互いライバル心が強かった。アテネとスパルタみたいかな・・・


 さ〜合戦が始まった!まずは「ののしり合い」からだ。書くもはばかられる罵詈雑言、これは私なんかが得意だった。そしていよいよ出てくる飛び道具!といっても石を投げるのである。大きく山なりにして。そうしないと向こう岸に届かないのだ。

 
 この時こそ、ガキ大将はじめ野郎っこたちの最大の見せ場だ。向こう岸まで届く奴は数名しかいない。届く奴が多くいて、石がよけい届いたほうが勝ちだ。といっても行司がいるわけでない。暗黙の了解だ。負けた方は、悔しまぎれの罵詈雑言や替え歌を相手に浴びせながら退却して終わりだ。


 さて戦いの行方は?「田舎っこ」のほうが強かった・・・「町っ子」のわれわれは悔しくて新兵器で応戦した。前のガキ大将が自転車屋だったせいで開発した武器だ。パチンコで金属のボールベアリングを飛ばすのだ!少し卑怯っぽいが。


 この日、「江合川の合戦」はどう終わったか?向こう岸の土手に、スーパーカブに乗って、歌舞伎役者のような派手な顔をした中学生くらいの奴が現れた。そいつが突然、土手道をバイクに乗って走り出した。そして、五百メートルくらい離れた「橋」をわたって、こちらの土手を猛進してきたのだ!


 私たちはビビった!なにせ、格闘家のような体、白いシャツの下に透けて見える下着は派手なブルー。こいつは格上の「ワル」だ・・・と直感した。なにせ無免許だ!そして、それぞれバラバラに逃げた。


 翌年、三つの中学校がひとつに統合され、三年後、私も合戦相手の連中とも机を並べることになった。歌舞伎顔のバイク野郎は三つ上だったようだ。統合した中学校では「番長」か「若頭補佐」みたいなエライ奴になっていたようだ。ヤッパリな〜。


(2011.12.19)

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