「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」 ぼんやり考えている十五歳の セーラー服の私がいた(茨木のり子) 今の時代、この詩と同じ気持ちの若い人々が多くなってきたのではないでしょうか。うれしいことです。
(挿絵:『倚リかからず』より)
茨木のり子『倚リかからず』より
お休みどころ
むかしむかしの はるかかなた
女学校のかたわらに
一本の街道がのびていた
三河の国 今川村に通じるという
今川義元にゆかりの地
白っぽい街道すじに
<お休みどころ>という
色褪せた煉瓦いろの幟(のぼり)がはためいていたバス停に屋根をつけたぐらいの
ささやかな たたずまい
無人なのに
茶碗が数個伏せられていて
夏は麦茶
冬は番茶の用意があるらしかった
あきんど 農夫 薬売り
重たい荷を背負ったひとびとに
ここで一休みして
のどをうるおし
さあ それから町にお入りなさい
と言っているようだった
誰が世話をしているのかもわからずに
自動販売機のそらぞらしさではなく
どこかに人の気配の漂う無人である
かつての宿場や遍路みちには
いまだに名残りをとどめている跡がある
「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」
ぼんやり考えている十五歳の
セーラー服の私がいた
今はいたるところで椅子やベンチが取り払われ
坐るな とっとと歩けと言わんばかり
*
四十年前の ある晩秋
夜行で発って朝まだき
奈良駅についた
法隆寺へ行きたいのだが
まだバスも出ない
しかたなく
昨夜買った駅弁をもそもそ食べていると
その待合室に 駅長さんが近づいてきて
二、三の客にお茶をふるまってくれた
ゆるやかに流れていた時間
駅長さんの顔は忘れてしまったが
大きな薬缶と 制服と
注いでくれた熱い渋茶の味は
今でも思い出すことができる