茨木のり子
サッカーと茨木のり子さん?いったいどんな詩なんでしょう。それは、あるサッカー選手の自立した清々しさを感じさせる作品でした。。
「電気ブタ」になりつつあるかもしれません。この私が。パソコンやらスマホやら携帯やら、常に「電脳情報」の見えない鎖につながれっぱなしの家畜のような気が。。。時々します。どこに飼い主がいるのかな?
まるで数年前の女学生のように、オヤジたちが友達つくりを加速しています。facebookで。この私も。これからどう変わっていくのかな〜〜?
少しホッとしたいなと思いました。今日は慌ただしい日だったので。本棚にある茨木のり子さんの詩集から小さなほんのりとした一編を。
茨木のり子さんの詩はどれを読んでも心にひびきます。書かれた年代によって硬軟のぐあいが異なるのも、また魅力です。
すっかり秋めいてきました。先週末の夜、薄着で自転車乗りをしたせいか軽い風邪を引いてしまいました。春夏秋冬、必ず巡り来る四季は人生と同じようです。あと2年で60歳になる私の「人生の季節」はきっと「秋」でしょう。
マザーテレサは晩年こう言ったそうです。-言葉が多すぎます- もし言葉を失ったとしたら、人は何をどのように判断するのでしょう。そのとき論理とか理屈とかの根っこにある、とても大事なものが姿を現すのではないでしょうか。
誤解曲解かもしれませんが・・・。数年前「携帯を持ったサル」という本が出版されました。もしかしたら「パソコンとスマホを持った老猿」という本も出るのではないでしょうか?
「変だな?」「どうしてなんだろう?」だらけの毎日です。ずっとずっと昔から。無意識にそれを解く「鍵」を見つけたいと思って日々読書してきたような気がします。はっとする言葉に出会ったときは、その鍵が見つかったような気がして興奮します。でもせいぜ…
20代の頃は、みんなでワイワイ安酒をのんで楽しんでました。 30代の頃は、仕事が忙しくて家で寝酒をあおってました。 40代の頃は、居酒屋やスナックで気のあう友とのんでました。 50代になったら、ひとりで居酒屋にいくようになりました。 もうすぐ還暦の今…
けさ、ふと、本棚からとりだした詩集 それは 茨城のり子詩集「自分の感受性くらい」 なにげなく開いたページにあった詩「知命」に心をうたれました。