善い仕事にこそ廻れ利益!

 「善い」をつかうべきか「良い」をつかうべきか迷いました。
考えて、「良い」にしなかった理由があります。
それは「良い」は比較の言葉として使われることが多いからです。
○○より良い、比較的良い、成績が良い、天気が良い・・・

 「良い仕事」と言った場合、それは他よりも歩留まりや品質がすぐれている、つまり競争性能が優れているという意味にとらえられることが多いといえます。「善い仕事」と言った場合、それは仕事そのものよりもそれを行う主体にとって、あるいは結果を享受する対象にとって価値が大きいものという意味になります。

 「良い」は相対価値、「善い」は絶対価値と言えるかな。
今までどういうわけか、多くの仕事というものは「良いもの」ばかりをめざしてきたと思うんです。でもこれからは「善いもの」をめざしていくべきだと思うんです。どうしてかというと「善い」を考えることは「何に対してなぜよいのか?」ということを考える、つまり仕事の目的や幸せとは何かについて考えざるを得ないからです。

 これを考えてこなかったから、性能良き人々が己の性能を発揮することだけを充実感ととらえ突っ走り、いつの間にか私たちが望んだわけでもないのにとんでもないものができてしまうということになってきたのでは、と思うのです。

 子供がかけっこをするように、学校でテストの点数を競うように、大人になっても同じことをしている。それをだれもおかしいことと思わずに性能が高いことを(人間)能力が高いと同義に考えてきたのではないでしょうかね。

 今の問題点は「良い仕事」にはお金は廻るが「善い仕事」にはお金が廻らないことだと思うんです。「善い仕事」にお金が廻ればとても人間的な社会ができると思うんですよ。それを少しづつでも何とかしたいなと思ってこんなブログを書き続けているんですけどね。

 みんなで身近にある「善い仕事」を探しなおしててみませんか?
そして性能良い人は「善い仕事にこそ廻れ利益」のためにその高性能を活かしましょうよ。それは金銭では決して買えない「尊敬」に値する仕事になります。

 何が「善い仕事」なのか、どうやったら「善い仕事」に変えられるのか、これを追求しようとして「みんなの独創村」を続けているんです。