20世紀最大の損失とは

 「20世紀最大の損失とは経済価値以外の価値を見いだせなかったことだ」
 宮城県に宮城大学というユニークな大学があります。
 その大学に、在野の公認会計士として数々の企業倒産も目の当たりにしてきたという異色の学者、天明茂名誉教授という方がいらっしゃいます。
 2000年に私が所属する勉強会で先生に講演を依頼しました。表題の言葉はそのときの講演を聴いて私が手帳にメモした言葉です。
 あとから続きがあることがわかりました。
 「見いだすべき価値とは存在価値である」


 天明先生のホームページを見ていたらこんな名言もありました。

会計は『損得』計算にあらず『尊徳』計算なり

 もう一つ引用させていただきます。なぜなら今の日本こそ経営者に人間としての倫理が必要とされる時代はないと思うからです。
 それは原発問題をきっかけに、私たちは「何のために何をめざすのか」ということを人間・生物という観点から深く考えることを余儀なくせまられているからです。

経営者は心に栄養を (2007年、仙台法人会)

1,企業発展の決め手は人格能力

 企業の善し悪しは経営者で決まると言われる。
経営者とは、その能力であるが、能力には職務能力と人格能力の2面がある。前者は知識・技能・体力であり、後者は人間性である。人間性は「こころ」と言い換えても良い。職務能力と人格能力は車の両輪に例えられるが、「心が肉体を左右する」と言われるように人格能力が職務能力に優先する。

 小職は宮城大学に奉職するまで公認会計士として幾多の倒産企業の再建業務に携わっていた。
そこで気づいたことは行き詰まる企業は決まって経営者の人格能力に問題があることだった。恩師である薄衣佐吉先生は人格能力を人の発達心理になぞらえて「自己中心性」→「自立準備性」→「自立性」→「開拓力」→「指導力」→「包容力」→「感化力」と高まっていくという仮説を立て実証したが、行き詰まる経営者のほとんどは「自己中心性」「自立準備性」であった。そうした心が‘思いつき’‘社員を大切にしない’‘取引先を裏切る’という自己中心の行動に表れ、業績の低迷を引き起こしていたのである。「開拓力」「指導力」といった高い人格能力を持った人はほとんどいなかった。反対に繁栄している企業の経営者ほど「開拓力」「指導力」「包容力」など高い人間性を培っていた。

2,人格能力はどうして成熟しないのか?

 誰でも肉体は年齢とともに成熟していく。若いうちは「成長」と言い、歳をとると「老化」と言うが、いずれも「成熟」という点では変わりない。これに対して心は歳とともに成熟していくわけではない。これを職務能力と人格能力に当てはめれば、職務能力は経験を重ねることで成長するが、人格能力は経験を重ねても成熟するものでないということだ。行き詰まる会社の経営者は、職務能力は高くとも、おしなべて人格能力が低かった。
では、職務能力は成熟するのに、なぜ人格能力は成熟し難いのだろうか?

 小職はこれを「栄養」の問題と考えた。すなわち、肉体は食事を摂ることで成熟する。言うまでもなく人は生きていくためには食べなければならず、食べることにより肉体は成熟する。これに対して心の栄養は摂らなくとも生きていける。
心に栄養を摂る人は人格能力が高まっていくが、心に栄養をやらない人は人格能力が高まらないのである。人の上に立つ人ほど心の栄養を十分に摂って人格能力を高める必要があるということだ。

3,心の栄養は「内省」

 肉体の栄養は食物である。食物は外部から摂る。
これに対して心の栄養は主として内部から摂る。すなわち「内省」である。この内省をサポートするのが外部からの栄養としての読書、研修参加などである。修行僧の滝行、座禅、瞑想などは、みな自己を律するためである。いい経営者は決まって内省型である。中には超ワンマン型の優れた経営者もいるが、こういう経営者は独断専行型であっても決して自己中心性ではないことに注意したい。

 これに対して企業を行き詰まらせる経営者は例外なく「自己中心性」が強い。
いわゆる「俺が、俺が」の「我」が全面に出るから他と調和し難いのだ。また問題をありかを他に求める「他責」の傾向が強すぎる。このために取引先や従業員など企業を取り巻くステークホルダーと信頼が築けず、結果として企業の発展が阻害される。

 これらはすべて「内省」の不足に起因する。
「内省」しか自分の心を高めるものはないと言って過言でない。私たちの回りに起こることはすべて原因があっての結果であると受け止めて、自己中心の心と行動を変えればすべての問題は解決する。小職の体験でも倒産から立ち上がった経営者は、再建の要因を「すべては我が反映と受け止めたこと」と言い切っていた。
新しい年を「内省」の年として経営革新を断行したい。