クニ子おばばと不思議の森

 日曜夜、NHKですばらしいドキュメンタリーが放映されました。九州宮崎県の海抜千五百メートルの山の中、焼き畑農業をして暮らす87歳のクニ子おばばと、その豊かな森の話です。かたつむりが紹介するという演出もとてもおもしろい!

 私も小さい頃(いや中学生の時もしたな・・)土手で危険な野火つけをして遊んだことがあります。あるときにはあっという間に燃え広がり、これはもうだめだ!と仲間と二人で心臓が止まりそうになったときもあります。

 焼き畑農業というのは、その野火つけと同じなんです。山のあちこちを順番に三十年周期で焼いてしまい、そこに新たな森の生命を育むのです。

 それを行う主役が、森の生き物みたいな87歳のクニ子おばばです。この年で毎日山に入り、四百種もの植物を見分け採取し食べ、そして山を育て続ける日々を実に緩やかにすごしています。

 この番組は撮影がすばらしかった!なにせ語り部のかたつむりがクニ子おばばと同じくらいの大きさで見えるように映したり、植物の発芽や成長などをまるで時間が縮まったようにして、ダイナミックにその動きを見せてくれるのです。

 なぜブログに書きたくなったか?それは再発見したからです。自然と生命の神秘、自然の中で植物や動物たち、はてまた人間たちも含めたその相互作用の妙味、不思議を・・・

 そして思いました。やはり私たちの頭の中にはすり込まれている!まるでアインシュタインが相対性原理を発見しなければ私たちは存在しないというような科学絶対主義が。

 クニ子おばばはこう言うんです「水と火と塩があれば世渡りできる」

 いい言葉ですね〜「世渡り」。「人として何かをなすために人生をどう生きる」とかいう傲慢な人間中心主義の正反対なんです。「自然とうまく付き合いながら生きる自然の中の私たち」という謙虚な思想なんです。心に気持ちよく響いてきます。

 この森では、仮に相対性理論がなくても、いやニュートンがいなかったとしても、なんの変わりもなく暮らせたことでしょう。実際そういった理論理屈それにともなう技術がなくても、自然はかわりなく存在し続け、その中で生き物は生きてきたわけです。

 いつから、人はこの妙なる自然よりも科学技術を偏愛するようになってきたのでしょうか?その経緯を探ることは、未来を考える上で、これからとても大事です。

 だってこのままでは、人間が母なる自然を損なうことに痛みを感じない時代が進んでいきますよ。それは未来に何を残すのか?ゾンビの世界か、猿の惑星か?渚にての世界か?マトリックスの世界か?ターミネーターの世界か?口開けてポップコーン食いながら映画見ている場合じゃなくなりましたよ。いつのまにか。

 未来を担う子どもたちには数式や理屈はあとでいい。もっと大事な「生き物としての私たち」をしっかり認識させねばならない。

 まず、子どもたちに、妙なる自然とどのように接して自然の驚きを体験させていくのか。その驚きを自分の原点(経験)とするべく、子どもたちにどのような「まとめ」をさせるのか、これが重要です。

 原爆を作ってる人たちも、子ども時代は自然とふれあったことはあるはずです。ところがそれは「体験」はしても(自分自身の)「経験」にはなりえなかった。だから刹那的な言葉や金や己の機械的競争性能に無意識に屈してしまったのです。

 さらに、原爆をつくってる人も自分が犯罪を犯しているとは思えない世の中になってしまいました。なぜならリーマンの債権のように、こまぎれにだれにも知られないように、しごとが分散されすぎているからです。

 できあがるモンスターを知らずにただ己の性能発揮に喜んでいる哀れで危険な秀才たち

 真に偉大な科学者というものは、すべて、われわれは自然の中の小さな一部なんだと気づく謙虚さをもっています。

 ニュートンが書いています。
 「私が世間からどのように見られているかは知らないが、私自身は、海岸で遊ぶ小さな子どものようなものだと思っている。ときに少しなめらかな小石やきれいな貝殻を見つけて喜んではいるが、真理の大海は私の前に未発見のまま広がっているのだ」

 アインシュタインだって自らの理論が核兵器を産んだということについて大きな悔悟の念を持ちました。湯川秀樹博士や朝永振一郎博士も署名した「ラッセル・アインシュタイン宣言」です。

 今、原発は原爆と同等以上の大きな被害を与えるということが、この日本ではっきりしたわけです。この宣言が決して爆弾だけのことではないというふうに読み替えることが必要でしょう。

 私たちが学び尊重すべきものは「不可思議な大自然」

 私たちが手本とすべきひとは「自然と仲良く暮らす人々」

 私たちが求めるべき成果は「自然の恵み」


 それを「クニ子おばばと不思議の森」はたった一時間で教えてくれました。スタッフに感謝!そしてこのような番組をまだ作ろうとする人々や組織があるということも嬉しいことです。

 みなさん、NHKオンデマンドで金を払って観ましょう。いつも「ただ」が当たり前と思う、いつのまにか染みついたネット習性の「せこさ」もほどほどにしないとね。