「孟母三遷」の社会

 孟母三遷の教えは、子どもの教育には環境がとても大事であると教えています。現代においてはむしろ「会社人」にこそ必要ではないかと思います。
 「孟母三遷」とは、このような中国の故事です。

孟子(もうし)が幼い頃、彼の家は墓地のすぐ近くにあった。

そのためいつも、葬式ごっこをして遊んでいた。

孟子の母は、「ここはあの子が住むにはふさわしくないところだわ」

そう考えて引っ越すことにした。

移り住んだのは市場の近く。

孟子は商人のまねをして商売ごっこをして遊んだ。

孟子の母は言った。

「ここもあの子が住むにはよくないわ」

再び引っ越して、今度は学校の近くに住んだ。

孟子は、学生がやっている祭礼の儀式や、礼儀作法の真似事をして遊ぶようになった。

「ここならあの子にぴったりね」

孟子の母はここに腰を落着けることにした。

やがて孟子は成長すると、六経を学び、後に儒家を代表する人物となった。

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 私はこの頃、とても不思議かつ憂鬱に思っています。

 なぜ、日々暮らしの不安が増していくのでしょう。

 なぜ、日々不健康になっていくのでしょう。

 なぜ、日々年寄りが生きにくくなっていくのでしょう。

 なぜ、日々道具が使いにくくなっていくのでしょう。

 なぜ、日々危険なものが増えていくのでしょう。

 こんなにも多くの人が、良かれと思って朝から晩まで仕事しているというのに。。。

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 私はその原因について、こう思えてきました。

 「暖冷房の効いたコンクリートの箱の中で、液晶と朝から晩までにらめっこしているからだ!」

 そこに風景はない、土も草木も風もない。

 赤ちゃんの泣き声も、子どものはしゃぐ声も、お年寄りの歩く姿もない。

 太陽のまぶしさも、土の匂いも、作物のとげの痛みもない。

 人との語らいも、笑い声もない。

 「そこが、あらゆる製品、あらゆる理屈の生まれる場所となっているからだ!」

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 言葉の母胎となる感性が育たぬ場所で、言葉が言葉の迷路の中で迷走し、よかれと思って「ガラクタ」と「屁理屈」を作り続けているのです。

 「私たちのために仕事」があるはずなのに「仕事のために私たちがある」に変わってしまいました。

 そこからできあがるものは、私たちの幸福とは縁遠いものばかりになってきました。。。

 日々劣化の競争みたいです。

 そりゃそうです。

 「だれのために」「何のために」が見えない場所でつくられているんですから。

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 さて、ここからが本題なんです。

 今や「仕事環境」についてコンセプトを大きく変えないと、劣化はおろか破滅、絶滅さえしかねない時代となりました。

 性能超優秀といわれる人たちが、競争して原発やら兵器やら金融商品やら、何だかんだのソフトやらをつくっているんです。

 一つ間違えば「破滅」「絶滅」にいたるような、強力で複雑な「とんでもないもの」に日々挑戦しています。

 原爆、原発、リーマンショックを思い出せば決して冗談ではありません。

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 こんな夢想をしてしまいました。一縷の希望みたいなお話です。

新日本帝国万歳!

 2020年、長く続いた右旋回がついに終わった。

 新日本帝国が誕生し、天皇陛下が全権を得る帝政となったからだ。

 左翼と言われた勢力は壊滅し、日本のねじれは解消した。

 反対に周辺諸国とのねじれはいっそうひどくなり、日々軍備増強、日々一触即発の状況であった。

 しかし、これこそが狙いの政界、経済界は「愛国心」の名のもと、国民をも社員をも大いに鼓舞し意気揚々であった。

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 しかし、天皇陛下の心中は複雑だった。

 海外留学もし、音楽もたしなみ、歴史も深く勉強した知識人であった彼は、内心このような体制を嫌っていた。

 それでもニコニコと、さらに今では威厳も感じさせる表情で政治家を率いているのにはわけがあった。

 「この立場を利用して、二度とこのような旧態依然の社会など志向しないよう、国民の意識を変えるしくみをつくろう」

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 目立たぬように実行しないとすぐ邪魔される。

 彼が参考にしたのは「孟母三遷」だった。

 「人は命の源である自然や、作物をつくることを忘れてはいけない。それが失われたために、こんな危ない世界をつくってしまったのだ」

 「言葉が生まれる場所、思想が紡がれる場所の大切さをしっかり認識しなければ、人は言葉によって己を滅ぼしてしまうことだろう」

 「私が行うのはそれしかない! 次代の子孫に望みを託そう」

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 彼は執政官たちに指示した。

 今後、会社を経営している者は次の法律に従うこととなった。

「孟母環境法」

 ・仕事場は自然環境豊かな場所にしかつくることはできない
 
 ・社員家族の自給率を50%まかなう自給自足農業を本業と並行して行うこと

 ・仕事に使うエネルギーの30%以上を自然エネルギーで自らまかなうこと

 ・全社員について勤務日数の半分以上を上記の環境で仕事をさせること

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 さて、それから30年たった新日本帝国の様子。

 右翼、左翼と覇を競った年代のおっちゃんたちの多くは、もう墓の中、または老人ホームでおむつをして暮らしている

 替わって世の中心となっているのは、「孟母環境法」で育った世代である。

 「帝国」と聞けば、昔は怖い言葉であったが、今では逆。

 ちょうどよき時代のブータンのような穏やかな社会となっていた。

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 もう白髪で車いすに乗っている天皇陛下は、眼下に広がる田んぼや畑、その間に点在する彩り豊かな「職場(会社)」を眺めながら、側近ににつぶやいた。

 「『孟母三遷』の教えはほんとうじゃった。。。環境と人は一体じゃ。環境の色に人は染まる」

 「人が育つべき環境というのは『自然環境』じゃ。自然の中で暮らす人間が、大切な自然を台無しにしてしまうことなど決して考えるわけがない」

 「それにしても自然の力はとてつもなく大きい。私たちの造形物などあっというまに壊すこともできれば、反対に私たち自身の考え方まで変える力を持っている」

 「自然は私たちの母親じゃ。それを汚してはならぬ。いつまでも。これが新日本帝国憲法の基本である」

 そんな社会の成長戦略は?防衛戦略は?国際関係は?

 私にはわかりません。

 ただ言えるのは、良き環境から生じる発想はきっと何かが違うはず。

 まずは自らも小さな実験をしてみなくては。。。