読書の匂い

 本というものを初めて読み始めてからもう50年以上・・・。いったいなにを得てきたのでしょう。読みっぱなしのまんまで、振り返ることも、自ら出力することも実に少ない年月をすごしてきました。

中身があると思っていた

 そんな私、いや私たちの世代は、今大きな転換期を迎えているような気がします。

 ブログやfacebookなどと出会い、はじめて表現の喜びを感じ始めているのです。と同時に「自分の中身とは、なんと希薄だったのか・・・表現すべきものが豊かにあると思っていたのに・・・」という悔恨の情も・・・

 でもよく考えてみれば、中身がないわけじゃないんです。出さなかったから何も入ってこなかったんです。出して見たら、しばらく使用していない水道管が詰まってて、少しづつしか水が入らなくなっていたんです。

読書の匂いをたどる

 そんな私の水道管そうじです。私の鼻腔の奥深くにかすかに残る匂い、はるか昔に読んだ本、それもささやかな短編の記憶を思い出すことによって。
 
 いっぱい経験したように思っていても、残っているものって、実はほんとうに「些細なこと」で「少し」しかないものですね・・・

『ちびくろサンボ』

 小さなサンボを食べようと周りを走り続ける虎たち。やがて虎たちは溶けてしまい黄色いパンケーキになった。バターだったかな?いったいどんな味がするんだろう!幼かったあの頃、食べたこともないくせに、世界にこれほどおいしいものはないだろうと思った。

 成長してからバターやらホットケーキやらパンケーキやら似たものと出会うが、どこかまだ違う。今でも無意識にあの味覚を追い求めている。 

『インディアンサマー』

 ヘミングウェイの短編だった。おじいさんが海か山の小屋で寝そべりながら孫に思い出話をしていたような、そんな情景だったような気がする。

 「いのちは尊い」だから「いのちを損ねてはいけない」という大事な理屈の「たが」が一瞬外れてしまった。

 じいさんの語る若きインディアンは、自分が言っていることを疑われた(ように思った)。そのとたん、何の躊躇もなく、ナイフで自分ののどを切り裂いてしまった。いのちより自分自身の名誉が大事なインディアンの世界では当たり前のことだった。というだけの短編であった。

『ある日の一休』

 武者小路実篤項の短編だった。腹を減らして旅を続けていた一休と弟子の二人があるお寺に入った。

 一休はなんのてらいもなくその寺にある食べ物を盗み勝手に食べ始めた。弟子はそんな一休に疑問を感じ、卑しいことではないですか、となじるが一休はそ知らぬように、なにを馬鹿なこと言ってるんだという顔をして弁解すらしなかったという話であった。

『太陽』

 ロレンスの短編。南フランスに来ていた若き母親と幼き娘の二人。なにがあったか忘れたが、母親にはつらいことがあって、そのため生気を失っていた。海岸に療養に来たのだった。

 なにかのきっかけで、一日中強い太陽のもとにいた。その日、干からびる寸前の芽に一滴の水がもたらされたように、母親の何かが変わった。

 それから数週間、母親と娘は海岸で、ただただ太陽の光を受け続けた。日々、青ざめた思考は強い陽に焼かれていった。

 ある日、はつらつと生気を感じさせる青年(郵便夫?)が彼女に声をかけた。母親は何かが新生する予感がした。頬は明るい色を取り戻していた。

『ロビンソン・クルーソー』

 10回以上は読んだはずだ。いつも一番楽しいのは、無人島へ漂着した難破船から彼が役に立つ品々を島へ運んでくる場面だ。

 そのなかでもラム酒の樽を運んでくる、それを味わう、その場面が子供のくせに大好きだった。ロビンソンクルーソーになりきっていた。

 どんなにおいしいものだろう、はちみつのようなものだろうか?と味覚の空想は広がっていった。

 今でさえ、「ラム酒」という言葉を聞いただけで鼻腔のへんがふわっと甘露に満たされるような錯覚を覚えてしまう。

表現する喜び

 ブログを書いている。facebookで知らせている。人に読んでもらえる。とても大きな喜びです。みなも大いにそれを感じているに違いありません。
 
 facebookはアラブやアフリカ諸国に革命を起こしましたた。そんな力があるとみんな悟りました。

 しかし、日本では(他の国のことはあまり知らないが)そんな、イナゴの大群みたいな使い方だけでない、独自の進化をしているようにも思えます。

 その進化をしているのは、われわれ、いい歳をした「オジサン」たちです。

 「何かを表現したい」と猛烈に感じ始め、発信、出力をしています。facebookに住んでいるような人もおおぜいいます。

 今までこんなに夢中になれることはなかったのに、なぜ?

 それは「自分自身の本名」を名のるからだと思います。

アイデンティティーに目覚める

 先日の晩、ラジオで聞いた「室井滋(しげる)」さんの話は興味ぶかいものでした。

 早くにご両親を失った彼女、芸名をどうするかというときに、強く感じたことがあったといいいます。

 私の名前が私の人生をつくってきたに違いない。別な名前だったら、きっと別な人生をあゆんでいたことだろう。
 
 この名前をつけてくれた親はもういない。この名前しか親とつながるすべはない。ひしひしと感じたというのです。

 それで彼女は、芸名を本名のままにしているそうなんです。

 考えてみれば、私たちの名前はただひとつ。私たちのルーツにつながる絆です。その名前こそ私たちのアイデンティティーのシンボルであるわけです。

 facebookがなぜ、私たちの世代に、「表現」「出力」という力を与えたか?

 それは、一人一人の心に「たった一つの名前を持つ自分」という意識を目覚めさせたからだと思うんです。

私たちの贖罪

 私たちはもっともっと表現すべきだ、そのために自らを振り返り、表現すべきものをふくよかに醸(かも)していくべきだと思います。

 今まではそれが少なく、入力だけの従順な子羊だったがゆえに、私たちの子や孫の世代に渡す畑はとてもやせてしまいました。

 自分たちはきっとよいものを持っているはずという錯覚のもとに、畑が荒れていくのを他人のせいにしていたのではと、私は反省しています。

 私たちが享受した過去の「善きこと」とは何であったろうか?

 それを何ゆえ「喪失」してしまったのか?

 どうしたら「恢復」できるのだろうか?

 私たちオヤジ世代は、こういう自問をはじめていかねばならないと思います。

 それは「表現」することによってなされていくのが、とても適切なことのように感じています。