デジタルの限界、リアルの迫力

 映画の話です。最近の大作映画と昔の大作映画どっちがスゴイ!と感じますか?私はもうぜったい昔の大作映画ですね。そう感じるわけがあります。
 最近の大作映画、というよりも、最近のほとんどの映画はCG(コンピューター・グラフィックス)で制作されています。つまり「デジタル」です。

 昔の映画(〜1970年代)は実写です。つまり「リアル」です。

 世の中すべてデジタル化している現在、「デジタル」は「リアル」よりもすばらしい映像を創り出すはずだ、という潜在意識を多くの人が持っています。

 それは、「科学技術」が休みなく生み出す新しいものは、古いものよりも必ず価値が高いはず、という科学盲信主義が私たちの頭にすり込まれているからでしょう。

 でもはたしてそうでしょうか?

 新旧の映画を比較すると「どうも違うな?」と思わずにいられません。

 最近の映画を見るとへきえきしてしまいます。みんなCGを使いすぎて、うすっぺらいものだらけです。

 以前はそうでもなかったんですが。。。「ジェラシック・パーク」とかせいぜい「タイタニック」ぐらいまでは。

 故伊丹十三さんが、「アラビアのロレンス」とその主演をつとめた「ピーター・オトゥール」についてエッセーを書いています。

 リアルの映画はまさに「命がけ」で制作されていました!なるほどこれじゃデジタルなんかかなうわけがないさ、と納得します。

伊丹十三「女たちよ!」より

 「アラビアのロレンス」の中で駱駝(らくだ)に乗った大軍同士が戦う場面があるが、両軍は現実に激しく憎みあっている部族同士であったから、殆ど真実の喧嘩に近いものであったらしい。死者も何人か出たという。

 デヴィッド・リーンという人は、そういう非情の人間なのかも知れぬ。

 この時先頭を走っていたピーターが駱駝から振り落された。何千頭の駱駝が全速力で駈けている、その先頭で落ちてしまった。誰しもピーターは死んだと思ったのである。

 ところが、不思議なものじゃありませんか。駱駝はそういう場合には落ちた人間の上に坐って他の駱駝の蹄(ひづめ)からかばってくれるのだという。

 そういう具合いにしてピーターは九死に一生を得たのであるが、撮影隊の連中はみんな顔面蒼白になってとんできた。いやはや、駱駝の下からピーターがごそごそ這い出した時の連中の喜びと安心はいかばかりのものであったろう。

 そんな中でただ一人、デヴィッド・リーン監督は顔色一つ変えずにいったのだ。
「どうかね、ピーター。次のカット撮れるかね」

 こいつは鬼だ! ピーターはその時思ったそうである。

 ファースト・シーンのオートバイで死ぬくだり、あれもスタンド・インなんか使わなかったという。そりや随分危いじゃないか、というと
「勿論危いさ。だからあの場面は撮影最後の日にやらされた」
と答えた。

 ピーターは芯から舞台の人間で、映画はあまり好きではない。自分の出演した映画すら一本も見ていないのである。

 ハムステッドにある彼の家へゆくと、トイレットの中に「アラビアのロレンス」で獲った様様な賞が壁一杯にかけてあった。

参考
 伊丹さん、上手すぎるよ!
 かまぼこ山とスパゲッティの木
 油が洩る車、だから安全?