憲法誕生の頃

 数日過ぎてしまいましたが、憲法記念日にちなみ、現憲法が生まれた頃の心象風景を書物の中から探しだして書き留めておこうと思います。
 改憲話がまたくすぶりはじめています。

 何事にも誕生の理由があります。

 そのルーツに思いを致すことは、大事なことであればあるほど必要ではないでしょうか。

 もしその場に自分が生きていたらどんな思いを持っただろうかという感性体験をすることが。

 どのようになるにせよ、決めるのは私たちです。御上(おかみ)ではありません。

帝国議会で今の憲法を決める際に国民の意向を調査した。その結果71%の国民が(この憲法が)必要と答えた。


芦田均憲法制定時の演説より
(民主党初代総裁、1948年内閣総理大臣)

「窓を開けてみよ!瓦礫の山だ」「今や地球的観点の憲法が必要なのだ」


鈴木貫太郎の言葉
(海軍大将で太平洋戦争終戦時の総理大臣)

「戦争は坂を下ることに同じ。始めるよりやめるほうが百倍難しい」

「武士道は武を好む精神ではない。正義・廉潔・慈悲を尊ぶ精神である」

「今後の戦争放棄は全世界的規模に発展していくべきで、兵器の進歩が異常な飛躍を示している点からもそうあるべき」

「(憲法9条は)よく考えてみて、まことに偉大な考え方」

「堅強は死の徒なり、柔弱は生の徒なり。(老子)」

以下は山室信一著『憲法9条の思想水脈』より抜粋です。

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吉田茂の答弁

1946年帝国議会にて

 野坂参三議員(共産党委員長)が、戦争には侵略戦争と自衛戦争とがあり、自衛戦争は正義の戦争である以上、侵略戦争だけを放棄すると明確化すべきではないかと質問したのに対して、吉田首相は六月二十八日の衆議院本会議で次のように答弁している。

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 戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認むることが有害であると思うのであります。

 近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。

 ゆえに正当防衛権を認むることが偶々〔思いがけず〕戦争を誘発するゆえんであると思うのであります。

 また交戦権放棄に関する草案の条項の期する所は、国際平和団体の樹立にあるのであります。国際平和団体の樹立によって、あらゆる侵略を目的とする戦争を防止しようとするのであります。

 しかしながら、正当防衛による戦争がもしあるとするならば、その前提において侵略を目的とする国があることを前提としなければならぬのであります。

 ゆえに正当防衛、国家の防衛権による戦争を認むるということは、偶々戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、もし平和団体が、国際団体が樹立された場合におきましては、正当防衛権を認めるということそれ自身が有害であると思う。

マッカーサー回想記より


幣原喜重郎(終戦直後の内閣総理大臣)の非戦思想
                                                     
 幣原喜重郎が戦争放棄についての「発案者」であることは、幣原の周囲の人々が異口同音に証言し、マッカーサー自身も『マッカーサー回想記』において幣原首相が「新憲法を書き上げる際にいわゆる『戦争放棄』条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構を一切もたないことをきめたい、と提案した。

 そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意志は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。

 「……私は腰が抜けるほどおどろいた。長い年月の経験で、私は人を驚かせたり、異常に興奮させたりする事柄にはほとんど不感症になっていたが、この時ばかりは息もとまらんばかりだった」と臨場感をもって回想していた。また、一九五一年五月のアメリカ上院軍事外交合同委員会での証言、五五年のサンフランシスコでの演説などでも同じ趣旨のことが繰り返されている。


カントの永久平和論について

 カントは平和を単に戦争がない状況としてではなく、戦争そのものが不可能になるような法的状態を作り出していく過程はいかにあるべきを構想した。

 ・・・・しかしながらカントの永久平和論については夢想に過ぎないと受け止めた人の方が多かったに違いないし、同じような嘲りの眼差しが憲法九条にも向けられてきたことも否定できない。

 しかし、カントもまたその永久平和がすぐに実現するとは考えていなかった。

 平和とは人類が存続する限り永遠に「課せられた課題なのであって与えられるものではない」というのがカントの考えだった。

 ・・・・カントにおいては人類が総体としていかなる世界を目標にするかをまず問い、そのうえで人間の利己的動機を肯定しながら法や機構によって戦争を廃絶していこうとする現実性を志向するものであった。

 ・・・・ただそこにあるものが現実的であり、それに合わせていくべきだという「体制順応主義としての現実主義」とは最も遠く離れた地点に立つものであった


内村鑑三の言葉

 「非現実的なまぼろしにすぎない」とあなたがたはいうだろう、しかし、あなたがたのいう武装した文明というのは、現実的であったか。自らその非現実性を証明したのではなかったか。むしろ、武装しない平和こそ、唯一可能な平和ではないのか。 

 かつての日本の武士は、勅令によって刀を奪われたとき、非常な不安を感じた‥しかし一度この攻撃と防御の武器を奪われてみると、かえって以前よりも安全を感じたものである

 ・・・・ああ、私の愛する祖国は、その若い未経験な明治時代の政治家の指導のもとで、この文明とはいえない西洋文明を、そっくりそのまま受け入れてしまったのだ!

 現代社会の状況の中で、そのままストレートに受け入れられないにしても、参考にすべき点は多いのではないでしょうか?

 それは、「戦争の悲惨さ」を政治家の誰もが痛烈に感じていたこと。

 「わが国家の」という観点から「わが地球の」という観点を持ったこと。

 理想を「率先する」ことの意義を感じていたこと。

 ドイツの作家レマルクは、第一次世界大戦の経験を「西部戦線異状なし」という本にしましたが、その中にこんなセリフがあります。

 「老人が戦争を始め、若者が戦死していく」

 「だれが戦争を始めたんだろう。敵兵は会ったこともない人ばかりじゃないか」