一年ぶりの気仙沼

 先日一年ぶりに気仙沼に行ってきました。丘陵地帯「五右衛門ヶ原仮設住宅地」で行われている、トレーラハウス・プロジェクトの現在を見たいと思ったからでした。
 このプロジェクトが始まったのは昨年の1月末でした。

2012.1.31のブログより
 
・・・このトレーラーハウスは一般的な作業ボランティア支援に使うのではなく、今後の災害支援活動をレベルアップするために、居住、エネルギー、循環、支援サービスなどについて新しい方法を模索する実験場として設置されたようです。(そのように私は理解したということですが)

 そのため、清水国明さんが主宰する「NPO法人河口湖自然楽校」や「産能研」、各メーカー等が共同でプロジェクトに参加しているようです。

 →気仙沼のトレーラーハウス

 設置されたばかりのこのとき、室内には介護用ロボットペットとかマッサージ機とか自動洗髪機とかがおかれ、デモンストレーションが行われていました。

 しかし、いったいこのトレーラハウス3棟を何の目的でどんな用途に使うのか、私には具体的なイメージがわきませんでした。

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 そして一昨日、一年ぶりにそのトレーラハウス群を見てきたわけです。

 市内から数キロ離れた丘陵地帯にある「五右衛門ヶ原仮設住宅地」は、市営野球場の中とその周辺に多数の仮設住宅が建てられ、小さな町のように感じられるほどの規模です。

 そのはじに設置された(駐車した)大きな三棟(台)のトレーラーハウスは、今この地区の公民館のように使われていました。

 許可を得て中に入らせてもらうと、仮設で暮らす方々が折り紙教室をしていました。午前中は売店に、午後はこのような趣味のサークルなどに使っているんだそうです。

 一年前に見学したときは「やっぱり狭いな〜」と感じたんですが、今回は印象が全く変わりました。「なんて広くて使い勝手があるんだろう!」と。

 エネルギーに関しても、屋根に取り付けた太陽光パネルだけの電力で日中はほとんどokなのだそうです。ただし夜は電力線に切り替えているそうです。ハイブリッドなんですね。

 そうそう、たしかプロパンガスのコージェネレーション(熱電併給)装置も付いていましたから、電線が通じてなくても電気を供給できるようです。

 三棟のうち奥にある一棟は、このプロジェクトの担当者用生活棟だそうです。

 これらのトレーラーハウスの排水システムは、「可搬型浄化槽ユニット」につながれており、掘削工事などなしで、設置(駐車)とほぼ同時に稼動できることが特徴のようです。

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 単に住民の憩いの場や集合の場としての用途なら、わざわざこのようなトレーラーハウスは不要じゃないかと思えますが、メリットは別なところにあるようです。

 それは、災害が発生したときに、このような自律型移動支援システムが各自治体やボランティア団体に準備がされていれば、いち早く支援に駆けつけ、迅速な緊急支援体制を組めるということです。

 数さえあればボランティアの宿舎とか、現在ここで使われているように様々な「共有施設」としても、すぐに使い始めることができることでしょう。

 移動できるので「自治体間の助け合い」もしやすくなることでしょう。

 日ごろは公民館とか地区集会場とかに使っておいて、いざという時は支援に廻す。そのような使い方なら、各自治体がお金をあまりかけずに準備ができそうです。

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 災害対策を巨大・頑丈な構築物で行おうという発想がまだまだ主流ですが、小さい、軽い、速い、便利という機動性をもった「モバイル系スモール対策」をもっともっと考えてもよいのではないでしょうか。

 どうも私たちの心の根底には「強いもの、大きいもの、動かないものだけが安心」という観念が強いようです。

 そのため、お国のオエライ様方に頼んで巨費が必要な大施設をお作りいただこう、というお上意識が強いように思うんです。(ホントは私たちの税金なんですが)

 その発想の根っこには、一度住みついたところを離れるべきでない、離れたくないという「土着」の執念があると思います。農耕民族ゆえのことでしょう。

 しかしこれからは、私たちの暮らし方や防災の方法など様々なことにおいて、「移動」という要素も加味していかなければ、多様性、安全性、自立性に問題が増えていくのでは、と思うんです。

 私たちがこれから創る「文化」の大事な要素として、真剣に検討すべき問題だと思います。

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 帰り道、宮城県と岩手県の県境付近にある「あいまき」というお店を訪ねました。

 ここもやはり一年ぶりです。とてつもなくおいしいコーヒーを出してくれる店です。

 赤ちゃんが産まれたばっかりの頃に3.11が起こり、ここは放射能が比較的高い地域であったため、国外への移住を真剣に考えていた店主でした。周囲の反対でその計画を断念したと、その頃苦渋にみちたブログ記事を書いておられました。

 →赤ちゃんの泣き声と「ガイガー計」

 カウンターには今も空間線量計が置いており、日々計測をしているようです。

 「最近どうですか?」と尋ねたところ、「空間線量はわずかづつ下がってはいます。しかし食物のほうが逆に高いものが増えているんです。たとえば魚介類や山菜とか。。。」

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 さて世の中は、円安による一時的相対的経済追い風に流され、浮かれムードになってきました。

 あらゆることがただ、3.11前に戻っていくようです。

 無力感を感じ、何もできずに傍観しているような今の私です。

 しかしこのような旅をとおして、あらためて二年前、一年前の気持ちがよみがえりました。

 そして、ふとこんなことを思い、心の中を冷たい風が通り抜けて行ったのです。

 「生存の危機も、私たちの生き方も、まだ何も変わってはいないんだ」