誤解している大事なこと

 憲法について誤解していたこと、誤解されやすいことを備忘録的に書いておくことにしました。
平和憲法があるのは日本だけではない

 「平和」や「不戦」を憲法に謳った国は百二十カ国以上あるそうです。1931年スペイン憲法、1935年のフィリピン憲法が日本国憲法より先に宣言しており、日本国憲法の下敷きになったそうです。


ドイツは憲法改正を禁じている

 ドイツは戦後50回以上も改憲していますが、EUという新しい枠組みに合わせるための改憲がほとんどだったようです。注目すべきは「改正を許さない条項」があることです。「憲法第一条および第二十条に定められている諸原則に抵触する憲法の改正は許されない」

 日本の憲法が20ページなのに対し、ドイツの憲法は80ページと4倍もの分量なのだそうです。ドイツが憲法改正を50回以上しているといっても、それはいちばん大切な基本原則を変えたわけではなく、たんに世の中の動きと合わなくなった補助的な条項を少しずつ手直ししているにすぎないということのようです。


憲法は国家権力が守るべき法律

 憲法とは国家と国民の契約であって、国家権力が守るべき法律であるとされています。具体的には国民の自由と権利を守るために憲法があるとされています。国を愛する義務を国民に課すというのはその意味から適切とは言い難い面があります。

 その意味から同様に、国旗・国歌の強制も適切とは言いがたいようです。アメリカでは「星条旗を焼く行為を罰すること」が憲法違反と判決されたそうです。


アメリカの憲法は革命の権利を認めている

 アメリカの憲法修正第二条には「人民が武器を保有しまた携帯する権利を侵してはならない」とあります。この憲法が守っているのは護身用の拳銃の携行の権利などではなく、自由を脅かす圧政にゲリラ戦で抵抗する権利、つまり革命を起こす権利であるそうです。


守るべき「国」とは何か

 「国」というのは具体的に何を指しているかです。「国土」「国民」あるいは「国家体制」または「国家という概念」「国体」?私たちに命さえ捨てよとさせるのはこのどれなのでしょう?

 国家権力を掌握している人間の利益を守るために、国民が命を捨てねばならないような国があるとしたら、先に死ぬべきは国民より国家の方であると言う人もいます。


「現実的」とは「理想」を否定することか

 「現実的」とは、現実に迎合して考えるということでしょうか?理想なき現実はどこを見て進むのでしょうか?「理想」こそ憲法の根本要素であると私は思います。

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 以上『9条どうでしょう』(ちくま文庫:内田樹、小田嶋隆、平川克美、町山智浩共著)から、ピックアップして編集しました。

参考
 「敗北を抱きしめて」より
 ノボ辞典「憲法九条」
 憲法誕生の頃