折りたためる家

 「住まい」というのは実に深いものだな〜と最近感じます。「暮らし」の空間だけではなくて、「感性や生き方」を育む、いや制限する空間とも言えそうな気がします。
 「だから建築家や建築メーカーが、あるいは工務店さんがあれこれ住宅スタイルを競っているじゃない?」

 う〜〜ん、私が思うのはもうちょっと下層にある「住まい」の様々なコンセプトについてなんです。

 まずは、こんな実験的な家を見つけましたのでご覧ください。

 「折りたためる家」なんですね〜。

 今、折りたたみ自転車ブロンプトンにはまっているのでなおさら興味津々です。

  →床面積が3倍になるテンポラリーハウス

 この家はトレーラーハウスのバリエーションと言えるでしょう。

 コンセプトは「モバイル」「フレキシブル」「アート」だと思います。

 最初は「へ〜、おもしろいね」と思ったんですが、だんだんと、何か根源的な問いかけをされているように感じてきました。

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 私たちは今、できるだけ外世界と断絶した魔法瓶のような高気密の家を、地中深き頑丈な基礎のうえに建てることを当たり前と思っています。

 そして一生かけて、その家のローンを払い続けます。

 収入が減ってローンが払えなくなることは、地球が滅亡するよりも大変なことに思えてしまいがちになります。

 それでは「住まいのために働き続ける人生」になってしまうでしょう。

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 部屋数も多くしがちなので、家族構成が変わるとだんだん空き室が増えていきます。

 がっしりと根を張った家から離れることは評価額も下がってくるので難しく、ときには土地を離れることを罪と感じる場合さえあります。

 それでは「住まいに足を縛られた人生」になってしまうでしょう。

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 こういった個別の「無理」や「制約」が、実は今の「暮らし」の根っこにあるのだと思います。

 (かくいう私もそうでした。。。だから今考え始めているんです)

 「それじゃたとえば、今の仕事を捨ててジプシーとかルンペンのスタイルに変われ、というのかい?そんなの無理だろう」

 う〜〜ん、この問いかけスタイルが私たちにいつも「ストップ!」をかけるんですよね。。。

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 あれかこれかの「二者択一デジタル思考」は結局「あきらめ」を生んでしまいます。

 私たちにとって大事な考え方は、「少しなら何か工夫できるはずさ」という「すきま探しアナログ思考」だと思うんです。

 とりあえず少しでも入れそうな「すきま」を見つけ、できる範囲で無理なく、今の生活とのハイブリッドで、あれこれ模索と挑戦を重ねていくのが楽しいんじゃないかな〜と思うんです。

 子どもや仕事場での教育とかにも、このコンセプトが必要じゃないでしょうかね。

 一生「合格か不合格かの二択」で生きるより、「少しづつ点数を上げていく」生き方のほうが絶対「人間的」だと思います。

 「折りたためる家」から今日も大きく脱線してしまいました。。。

参考
 ホビット庄のような村
 モバイルハウスの原点
 現代の「方丈記」
 ユニークなドームたち
 現代のロビンソン・クルーソー