キラッと輝く新聞記事に出会いました。発想を切り替えると、なんて不便は楽しいことでしょう。
なんか「ファーストクラス症候群」に近づきつつあるような巨大都市新聞、それでも時々「いいね!」したくなる記事が載っています。
この女性記者さん、私と考え方がとっても似ていて、文中の「私」は「私自身」といってもいいくらいです。
朝日新聞 2013.7.11(社説余滴)
「電気さん、ありがとう」 稲垣えみ子
夏本番を前に、節電を呼びかける社説を書いた。がまんしない節電の方法もある。脱原発社会に向け、一人ひとりができることは大きいと伝えたかった。
かくいう私もあの日以来、「誰でもできる個人的脱原発計画」を進行中である。
私が電気を購入する関西電力の原発依存度は約5割だった。もし全ての関電ユーザーが消費電力を半減すれば、その時点で原発は不要だ。子供じみた発想だが、まずは自分が挑戦してみようと思った。
そう、私も我が家も継続中。かなり後退してしまいましたが、契約アンペア数を下げたせいもあり電気料は震災前の2/3くらいです。
あのころ、何かしなければ耐えられなかった。朝、テレビをつけるときの恐怖。日本が、いや地球そのものがダメになってしまうのではと足元がぐらついていた。
震災前、月の電気代は2千円台だった。そして今、千円を超える月はない。最低記録は702円。独身ならではの数字だが、大成功だ。
もともと掃除機もなく雑巾で床を拭くような生活だったので、文字通り「乾いた雑巾を絞る」ような工夫と、思い切った発想の転換を重ねた。その涙ぐましい過程は軽く一冊の本となるだろう。なので、二つだけお伝えする。
ほんとに私も放射能の恐怖を感じ、原子力村も頭にきて、家畜だった自分にも腹が立ちました。
ちくしょう!と思い、何かしなければ耐えられないと私も思い、冷蔵庫さえやめたんですが。。。
負けました。。。でも「一歩後退二歩前進」の精神です!
一つ。社説では「がまんしない節電」を薦めたが、実はがまんこそ面白い。
例えば、我が家の暖房は火鉢である。驚くほど手間がかかり、しかも全く暖かくない。だが凍える朝、必死に炭をおこす期待感と、火がついたときの喜びといったらない。これって、むかし学校で習った清少納言の世界?
安倍首相、私、日本を取り戻しました!と言いたい。
それはさておき、当たり前に享受してきたことを一つずつ見直す作業は、さびついた脳を取り出してホコリを取っていく快感であり、何かに依存しなくても生きていけると知ることだ。
人は案外強い。それは自民党が言う強靭(きょうじん)化のような強さではなく、風になびいて元に戻る柳のような強さである。
3.11以来私の人生には、この方の言うとおり「不便の楽しみ」を知り、それを無理なく追求するという太い道筋が見えたのです。
それと「柳のような強さ」、これをもっともっと多くの人が再認識すべきだと思うんですよ。
もう一つ。徹底した節電で気づかされたのは、むしろ「電気の偉大さ」だった。
夜はほとんど暗闇で過ごしている。手探りではどうにも無理というときだけ電気をパチッとつける。その明るさ! 心から「電気さん、ありがとう」と思う。このすばらしい電気を作るため汗を流す人に、心から感謝したい。
電気は「安価に使える当たり前の道具」ではなく、「すばらしい貴重品」。そう考えるところから出発したい。
(いながきえみこ 社会社説担当)
最後の文章がさすがです!
「電気」ひいては「文明」への感謝。
だからこそ、貴重に考えようよ、扱おうよという考え。
この思想には、私正直まいりました!!
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余談ですが、福島第一原発の近く浪江町で生まれ育った八十数才になられる街の発明家さんが、宮城にいたんです。
この方のある発明品がテレビで紹介されていたんで、震災前ですが私お会いして話を聞いてきたんです。
そうしたら、万有引力を応用したコスト0の発電機をライフワークとして研究し続けている、ということを知りました。
その動機というのがこうなんです。
「私は福島県浪江の田舎で生まれました。兄弟が多く生活は大変でした。ある日家に一つしかない電灯がつかなくなったので父にどうしてと聞きました。父は電気料が払えなかったので電力会社が電線を持って行ってしまったんだ、と言いました。子供ながらに悔しくて、いつか金のかからない電気をつくるぞと決心したんです」
私の父親世代くらいまでは「電気」は実に貴重品だったんですよね〜。父の実家でも少年時代は10w位の電気が一個だけだったと聞きました。
震災後に、この方にもう一度お会いたいと思い現地に行きましたが、七ヶ浜町も甚大な被害を受けたせいか、研究所も店もなんにもなくなっておりました。。。
3.11後、心境が変わった自分には、この方の気持ちがよくわかるようになったのです。
それに、彼が挑戦していた万有引力発電機も、あながち夢物語じゃないな〜と思えてきてるんです。
これから何とか探して、またお会いしたいと思っています。