スマホ中毒脱出

 「人間とは自ら中毒を求める生き物であ〜る」とノボ村長は言いました。続けて「人生とは中毒の追求と中毒からの脱出、その繰り返しであ〜る」とも。

(『大脱走』スティーブ・マックイーン)

 思い起こせば中毒だらけだったな〜、我が人生。

 漫画中毒、タバコ中毒、天丼中毒、蕎麦中毒、しごと中毒、そしてネット中毒、スマホ中毒。。。

 「中毒」とは、どんな人にも共通する「人間の本質」みたいなもんでしょうか。

 どうしても自分を「中毒」と思いたくない人々は、それを「趣味」「道楽」「研究」「生きがい」「専門」などとあれこれ言い換えます。

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 さて、中毒も最初は「high」でいんですが、だんだんやっかいになってきます。

 何とか脱出したい!と思い始めますが、そうは問屋が(いや中毒が)卸さな〜い。

 今、私が脱出したい(少ししたかな?)と思っているのは「スマホ中毒」なんです。

 この中毒は、私だけでなく今や全世界的流行になっているのでは?

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 朝起きて一服、トイレで一服、歩いて一服、飯食って一服、寝る前一服。。。

 「一服」を「スマホ」に変えてもそのまま通じそうです。

 あ〜〜、十数年前の光景を思い出します。

 ある大手ソフト会社に行ったとき、満員エレベーターの中でノートパソコンを持ち上げてメール?を見ている人がいました。

 「うわ〜〜、もうこんな人種が出現してるんだ!」と奇怪に思ったものです。

 今じゃその上を行く我がスマホ中毒、ネット中毒。。。


(→画像のもとはこちら)

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 なんで「スマホ中毒」(いや、もっと根源的な表現すれば「ネット中毒」)が大変かといえば、読書ができなくなるからです。

 ついつい寝床でも手軽で旬な情報いっぱいのスマホに手が伸びます。

 間違いなくここ一二年読書量は減りました。

 それと少しお堅い本も読めなくなってきた。。。

 なにせスマホやパソコンだけで、もうオツムがヘトヘトになってしまうので。

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 ところが偶然!

 とりあえず「スマホからの大脱出」に可能性が見えてきたのです。

 私は最新型のi-phoneを使っているんですが、最近やたらとバッテリーが消耗するようになってきました。

 いろんな設定をいくら変えても、何かが原因で思い切り減ることがしばしばです。

 ある日電源を切っておこうと、いつものように上の電源スイッチを押しました。

 そうしたら(今更恥ずかしいんですが。。。)、「電源を切る」というスイッチが画面に表示されるではありませんか!

 なんと、私はこの「長押し」が「電源を元から断つ」ことだと初めて知ったのです。

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 それからはバッテリーは減りません。(当たり前ですけど)

 使いたいときには「電源オン」

 実は、これが「スマホ断ち」のきっかけとなりました。

 なにせ再起動するまで約1分もかかります!

 今や「瞬速世界」にはまった私、もう待てなくなったのです。

 いや、今から見ようとするものは「待つに値すること」なのだろうか? と、疑問が生じるようになったのです。

 さらに、ネット界のコカイン「Facebook」を見ようとすれば、電源オンのつどログインを要求されるようになりました。

 あの小さな画面で苦行のような入力などいちいちしたくありません。

 それで「見なくても別にいいっちゃ!」と悟ったわけです。

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 あ〜〜すっきりした!ウレシイ!

 これが偽らざる心境です。

 「なんだ、スマホを使っていたんではなくて使われていたんだ」

 と、改めて中毒の怖さを実感したのでした。

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 こんなスマホ断ちができるのも私が「ケイタイ二刀流」だからです。

 緊急電話や緊急メール用に、従来より使っていた「ガラパーケイタイ」もまだ持っていたからです。

 え、料金高くなるって?

 ところがガラパのほうを最低固定料金(月千数百円)で契約しておくと、かえって2台持ちの方が安上がりになることもあるのです。

 スマホは携帯パソコンだ、と割り切ってしまうわけですね。

 ですから、ケイタイ一刀流の方や、スマホで音楽などを始終聞いている人はちょっと無理ですね。。。

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 もうひとつ、昨日は「ケイタイそのものが本当に必要か?」という疑問を持ちました。

 今年の誕生日で90歳になる父が、ケイタイをいじってしまい部品が外れてしまいました。

 私が預かって携帯ショップに持って行ったんですが、父と連絡が取れなくなるという心配が強くありました。

 しかし、ショップまでの道中あれこれ考え始めました。

 「ケイタイから緊急連絡来たって、遠くにいればすぐには行けないじゃないか」

 「ケイタイがなくても黒電話があるじゃないか」

 「ケイタイなければ、もっと行く頻度が多くなるだろう」

 「隣近所ともコミュニケーションをとるようになるだろう」

 何かケイタイに頼りすぎていて、「すぐつながらない恐怖心」が嵩じてしまっていたな〜と思えてきたのです。
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 スマホ脱出、ケイタイ信仰への疑問。

 これらは、私に「爽快感」を与えてくれました。

 なにか、自由を少し取り戻せたような。。。

 やっと普通の人に戻れそうだと思えたり。。。

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 さ〜次はいよいよ「ネットそのものとの闘い」だな〜。

 「使わない」ということではなく、「つながれている」から「自分がつなぐ」への転換ですね。

 厳しい闘いになりそうです。。。