選抜甲子園大会をなんとなく見ていてたら、球場の電光掲示板に「119番には直接電話しないでください」とありました。
それを見て感じるところがありました。(ちょっとだけ)アマノユウキチさん風に書いてみます。
ノボ村長の世相天気図
もう春だな〜と思うのはくしゃみと選抜甲子園大会。
地元高校じゃない試合だと、まるで車窓の風景みたいにのんびり見られるね。
高校野球の魅力は、みんな、とっても一生懸命なこと。
ところが、すべり込んだが惜しくもアウト!みたいな場面で、選手が悔しそうな「笑顔」を見せることがたびたびある。
僕はこんな笑顔を見るととっても嬉しいな〜。
選手がのびのびとプレーしている感じがするし、試合を楽しんでいるのが伝わってくる。
そんな笑顔のとき彼らは「選手」じゃなくて、きっと「球児」だね。
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さて、電光掲示板が画面に映し出された。
初めて見た、というか気づいたんだけど、こんな表示が出ていた。
「119番には直接かけないでください。係員にお知らせください」
なるほど、たしかに三万人とか入っている球場で勝手に119番されたんじゃ、救急車も大変だ。
こんな注意表示をするということは、以前にきっと、多くの人が直接かけて大混乱したことがあったからなんだろう。
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しかし僕はこの注意表示に、ケイタイ社会とかネット社会とかの危険な一面を感じてしまった。
僕らが小さいとき、男の子ならみんなあこがれた夢の道具があった。
まだドラエモンが出る前の頃だけど。
『鉄人28号』で、少年探偵金田正太郎くんがもっていた「リモコン」。
これはティッシュボックス半分くらいの大きさの箱にレバーが付いていて、これを操作して鉄人28号を呼び出し、操作する。
もうひとつは『スーパー・ジェッター』で、30世紀のタイムパトロール「ジェッター」が付けていた「腕時計」だ。
腕時計みたいだが、実はこれが一人乗りタイムマシン「流星号」を呼び出す機械なんだ。
どちらも呼びたいときに、「頼れるヤツ」をすぐ呼べる魔法の道具だった。
この魔法の道具と、現代のケイタイやスマホが僕にはとても近しいように感じられるんだな。
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ケイタイはどこにいても(電波さえ届けばだが)すぐつながる。
僕たちは、まるで正太郎くんやジェッターになりきってしまったんじゃないだろうか?
119番にかければ、どこにいても(自分だけのために)すぐに救急車が来てくれる。
110番にかければ、どこにいても(自分だけのために)すぐにパトカーが来てくれる。どっかに鉄人28号や流星号みたいなものがあって、自分(だけを)を助けてくれることは当たり前と思っている。
だから、(以前より)ちょっとしたことでもすぐ人に頼ろうとしてしまう傾向が増えたんじゃやないかな〜。
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ところが、ケイタイは進歩しても救急車もパトカーもそう増えたわけじゃないし、道路だってそのとおり。
となると、すぐ来ないと「なぜ遅れた!」とクレーマーに変身してしまったりする。
世の中が大して変わってないのに、ケイタイだけが進化してしまい、いろんなところに勘違いが多くなってきたような気がするな〜。
甲子園の電光掲示板でふとそんなことを感じた、っていうのが僕の勘違いかもしれないけどね。
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道具だけが進化して中身がそのまま、というのは「ネット」がまさにそうだよね。
お猿に、食事の代わりにお菓子を与えたようなもんだと思うときがあるよ。
ネットの変な書き込みなんか見るとそう思うんだな〜。
昔は書く場所がないから変なのが芽を出すことはなかったけど、今では書くべき中身がないのに書き込む場所だけやたら増えた。
その結果、落書きだらけの社会になってしまった感じだね。
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スマホを作ったジョブスさんはエライと思うけど、その道具を使うわれらはかえって退化したみたいだ。
よ〜く考えてみると、人を退化させる道具というのは、人に何かをしてもらうための道具といえる気がする。
反対に、自分で自分を助ける道具っていうのもあるよね。
変な比較なんだけど、たとえば山に持っていくミニコンロとか万能ナイフなんかは自分が生存するための自活の道具だもんね。
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もともと僕らの「身体」も道具と考えれば、今はやりのモノはほとんど、「もともとの道具」の価値を下げてしまうように思えるよ。もっとも大事な「脳みそ」という道具が、年齢という劣化よりも、新しい道具によってより劣化を促進させられていると感じるのは僕だけかな〜。
次世代のジョブズさんには、そのへんよ〜く考えてほしいな〜と思ってます。
ありゃりゃ、もう試合が終わっちゃった!