ごちそうさんのセリフ

 「あまちゃん」が終わったばっかしと思っていたら、「ごちそうさん」まで終わってしまいました。朝ドラで感じさせられます。月日の流れがなんと速いことかと。
 朝の連続ドラマを書く脚本家の力量には、どのドラマを見てもホント感心させられっぱなしです。

 数日前に終わってしまいましたが、「ごちそうさん」は軽い感じで毎朝楽しめました。

 しかし後半は戦時中の生活を詳しく描き出しており、ドラマに重みを与えていました。

 そのせいで、このドラマはよけい価値を増したように思います。

 楽しさだけではなく、人間として記憶しておくべきこと、想像すべきことについても教えられた気がしました。


(左:主演の杏さん、右:脚本の森下佳子さん)

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 最近、番組ではなくオエラさんたちで何かと話題の多いNHKです。

 問題の三人衆が選ばれる前に準備された作品ゆえか、実に目立たぬようにではありますが、作者の思いが込められていたように思います。

 その思いとは「悲惨な戦争を厭う気持ち」「自然エネルギーへの希望」です。

 それを同じように感じた方が自分のブログに書いていました。

 →朝ドラ「ごちそうさん」のセリフに見た、エネルギー政策への苦言

 いよいよ最終回を前にするNHK朝の連ドラ「ごちそうさん」ですが、今日の朝の放送を見ていて気がついたことが。

 主人公・め以子の娘で理系女子なふ久が、なくなった祖父とのやりとりを回想し、こんなセリフを述べます。

 うちも大吉(ふ久の息子)になんかええもんのこしてあげたい。

 うち電気つくりたいんや。

 風や、地下熱や、波や、太陽やこの世の中には見えない力があふれている。

 それを電気に帰る仕組みを残したいんや。

 行けるんやったら大学いきたい。

 出社前にテレビをぼーっと見ていたら、戦後すぐの日本の不電気不足の中で、ここで自然エネルギーにフォーカスした発言が出てきたことに意図や思いを感じたのです。

 一緒にテレビを見ていた妻も、同じようにこのセリフに反応していました。(当時の発電は、調べてみると水力・石炭・石油の三本柱で基本的の構成されていたようです)

 で、ちょっとググって調べてみると、たとえばごちそうさんの公式サイトには、以下のような脚本家・森下佳子さんのコメントが。

NHKごちそうさん公式サイト・作品紹介ページより

<執筆にあたって>

福島第一原発事故直後のこと、一人のママ友からメールが来ました。

「ミルクを作るためのミネラルウォーターが買えない」とそこにはありました。

あの頃ほどではないにせよ、今も安心できる食材を確保する為に手を尽くされている方も多いのではないでしょうか。

「何故こんな事態になってしまったか」と、やり切れなさや怒り、一人の大人としての反省を覚える一方で、食材を求め奔走する母親たちの姿に、とてもプリミティブなものを感じました。

2014-03-19

 そして、「ごちそうさんメモリアルブック」には、以下のような森下さんのインタビューが掲載されているとのこと。

福島原発問題は、いまだに収束のめどが立っていません。

私は科学者でも政治家でもありませんから、「二度と事故が起こらないでほしい」という気持ちをぶつけるしかできません。

少しでも記憶の風化を遅らせることができれば、と思いました。

戦争にしても、子どもを持つ親の身としては避けてほしい。

実際に体験された方のご本の中に、戦争について「命より大切なものがあると言って始め、命ほど大事なものはないと言いながら終わるのが戦争」という言葉があり、とても心に響きました。

そうした思いも脚本に反映しています。

こうした脚本家・森下佳子さんの発言などを鑑みると、このセリフには意図が込められている、と感じたのは決して邪推でも不自然でもない、と感じます。

 アキモト自身がエネルギー政策についてどう考えるか、ということは関係なく、

 ニュースはもちろんのこと、例えばこうしたテレビドラマのセリフの一つ一つにも、意図や背景が込められうるのだ

 ということをあらめて感じさせていただいた、って話。

 それにしても、甲子園が盛り上がり、プロ野球開幕の今日に合わせた今日の内容も、ドラマの内容と時節柄のトレンドを重ねた面白い演出だなぁと思います。

 秋元祥治・公式ブログ http://akimotoshoji.blog.jp より

 「ニュースはもちろんのこと、例えばこうしたテレビドラマのセリフの一つ一つにも、意図や背景が込められうるのだ」

 この方のこの文章になるほどと思いました。

 脚本を書いた森下佳子さんの年齢を調べたら43歳のようです。

 私から見ればとても若い年代の方が、戦中の様子を力を入れて描き出してくれたというのはとても心強い思いがしました。

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 これから数年間になるのか、もっと長くなるのか、「強い国」というイメージのもと、この国ではさまざまな締め付けが強まっていくであろうと感じられる日々です。

 私たちの防衛本能がむき出しになりつつあって、そのような時代へと進めているのも私たち自身であることでしょう。

 政治問題も経済問題も、実は「私たちの群衆心理問題」と言い換えることができそうに思えます。

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 しかし、そういう時代になっても、だれでもが、どこにおいても、何らかの、(バランス回復のための)「抵抗」を工夫し実践できるはず。

 そんな小さな「抵抗」の積み重ねが、過激な感情のアクセルに対して、自立的にバランスを回復させていくブレーキになるのではないでしょうか。

 そんな可能性についても考えさせられました。