先頃、紙の家の建築家、坂茂(ばんしげる)さんが建築界のノーベル賞とされる「米プリツカー賞」を受賞しました。作品を知ったりインタビューを聞いて「鴨長明」を思い出しました。
ニュースで聞いた彼の建築思想に興味を引かれネットで探しました。
フランスでは大統領の名前がついている建築が多いことからもわかるように、特権階級が権力やお金という目に見えないものを視覚化するために、モニュメント的な建築を造る。
極端に言うとそれが建築家の仕事です。
そのことに気づいて少し虚しい気持ちを覚えるようになり、もっと一般の人たちや、自然災害などで家を失った人たちのために、自分の経験や知識を提供できないか考えるようになりました。
その頃、ルワンダの内戦で200万人もの難民が貧しいテントで苦しんでいました。
そこで紙管を使ったシェルターを、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所に提案したのが最初でした。
→http://goethe.nikkei.co.jp/serialization/takigawa/130806/01.html
たしかに建築の歴史は「より高く」「より大きく」「より頑丈に」「より豪華に」ということを(無意識的にでも)めざしてきたように思えます。
それが私たちにとっても当たり前で、大聖堂、超高層ビルなど巨大高級建造物にずっと感嘆の声をあげ続けてきました。
伴さんが(それを)「権力の象徴」とズバリ語っているのにはビックリしました。
そして彼は、お上ではない、私たちみんなの、身近な「すみか」を「建築の新しい視点」に据えました。
さらにその建築物とは「木と紙の家」を超えた「紙の家」です。
「紙の家」とは「仮設建築」とか「仮の庵」とでも称すべき(この国においては)古くて新しいコンセプトであります。
「建築の出発点」はどこか、「住まいの原点」とは何か、などあれこれ考えさせられました。
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私は最近、「鴨長明(かものちょうめい)」に関する本を読んでいました。
堀田善衛『方丈記私記』
水木しげる『漫画古典文学 方丈記』
伴さんのお話しと、彼の「紙管」を用いた「仮設建築」を知るにつれ、私の頭の中で鴨長明の思想と重なってきました。
鴨長明も実は建築家といえる人物で、自ら図面を引く(指図というそうです)ことをしていたようです。
彼の建築思想はそのまま彼の人生観でもありました。
その人生観は、平安時代末期から武家政権初期の都のうちつづく大災害、飢饉、世情不安などを背景としたものです。
彼の人生観(無常観)は、現代に生きる私たちの心にも痛切に響きます。
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堀田善衛さんは「方丈記」の世界を太平洋戦争時の東京大空襲の体験に重ね、救いを求めるかのように何度も読み返し『方丈記私記』を著しました。
アニメの宮崎駿さんは『方丈記私記』を、彼が最も影響を受けた本のひとつといっております。
私はこの本を読みながら、映画『風立ちぬ』の関東大震災を描いた場面には、まちがいなく「方丈記」「方丈記私記」の影響があったと感じました。
水木しげるさんも、出征する前に「方丈記」を読んで大いに共感を覚えた、と書いています。
3.11の惨禍ゆえ、私も同じく共感を覚えてしまいます。
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「方丈記」の中から、伴さんの建築思想にも一脈通づる段を現代語訳で抜き出してみます。
・・・ただ、この仮の庵だけが、のどかで恐れもない。
家のほどは狭いと言っても、夜に寝るだけの床(とこ)がある。
昼に坐るだけの場所がある。
この身を宿らせるのに不足はない。
ヤドカリは、小さな貝を好む。それは、この事実を知るからである。
みさごは荒磯(あらいそ)に住んでいる。それは人の世を恐れるからである。
わたしの思いもそれに同じ。
この身を宿らせるべき庵のことを知り、人の世を知れば、身の上を願うこともなく、あくせくすることもない。
ただ静かであることを望みとして、憂いのないことを楽しみとするばかりである。
すべてにおいて、世の人の住みかを作る訳は、必ずしも身を宿らせるためではない。
あるいは妻子、親族のために作り、あるいは懇意(こんい)の人、朋友(ほうゆう)のために作る。
あるいは仕えるべき主人、師匠、さらには財宝や牛馬のためにさえこれを作る。
わたしは今、この身のために築く。
他の者(もの)のためには作らない。
なぜと言えば、今の世の常として、この身の有りさま、伴うべき妻もなく、頼みを掛ける召使いもいない。
たとえ広く作ったからといって、いったい誰を宿らせ、誰を住まわせようというのだろう。
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現代の鴨長明と呼ばれるべき二人のことも思い出しました。
建築家としての鴨長明「坂口恭平」
生活者としての鴨長明「高村友也」
建築とは実に深いものです。
単なるハコモノではなく、思想や人生観そのものでもあるようです。