日本人の習性とは

 「日本人」と「いっぱひとからげ」にするのはよくないよ、といってもやはり日本人特有の習性はあるような。血液型性格占いとおんなじで。
 「日本」といえば島国。

 だから単一民族なんだと思いがち。

 しかし、新石器時代までさかのぼれば海面は今より百メートルも低く、現在のロシアとも地続きだったんです。

 さらに弥生時代から朝鮮半島とは切っても切れぬ混血関係。

 平安遷都した桓武天皇の母上も百済(くだら)出身の方でした。

  →トンイの国とわが郷土

 今は残念ながら、近親憎悪、目くそ鼻くそを笑うがごとき近隣関係ではあります。

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 さて先日、河北新報が内橋克人さんの談話「日本、再び暗い時代へ」を載せていました。

 地方新聞がジャーナリズムの本質「反骨魂」をまだ持ち続けていることに少しホッとします。

 内橋さんが危惧する日本の未来、それを促す「日本人」の習性について述べている箇所を引用します。

 内橋さんはしばし口をつぐみ「いま再びの暗い時代へ」と低い声で警鐘を発した。

 怒りの向かう先は「戦争を知らない軍国少年」と呼ぶ政治家らの<勇ましい>言動だ。

 「彼らは本当の戦争を知らず、命を失うことの恐さを知らない」

 急旋回する政治状況への無念が胸にうずく。

 特定秘密保護法、解釈改憲による集団的自衛権の行使の容認・・・。

 その先に待つ日本の暗い未来を、もはや「歴史的必然」と洞察する内橋さんは「二つのことを言っておきたい」と語気を強めた。

 一つは、ひとたび戦争となると「あらゆる知が総動員される」ことだ。

 平時は穏やかに見える学究者たちも一転、効率よく人を殺すために学問的蓄積を動員する。

 自伝的小説「荒野渺茫(びょうぼう)」では日本の民家を効率的に焼き尽くそうと焼夷弾の開発に熱中した著名な建築家も描かれる。

 そして、「被害者は加害者に、加害者は被害者に。それが戦争です」と続けた。

 東京・神戸の大空襲の数年前には、中国・重慶への日本軍による猛烈な連続爆撃があった。

 日本への激しい国際世論の糾弾が始まったのだ。

 大空襲の被害者と思い込んできた自分の愚かさに気づかされたとき・・・。

 それが「第二の原点でした」と目を伏せた。

 参考:非人道的と非難される無差別空爆は太平洋戦争緒戦の頃、ナチスドイツのゲルニカ空爆(死者300〜1600人)と日本軍の重慶爆撃(死者一万人)が最初とされています。

  「トップの首をすげ替えれば、後は放っておいても全員が『頂点同調』する。

 日銀総裁に内閣法制局長官、NHK会長と、安倍政権が駆使する統治手法です。

 日本人のコンフォーミズム、つまり頂点同調主義や熱狂的等質化といった特性を、今から根底から変えるときではないでしょうか」

 参考:コンフォーミズムとは「体制順応主義」のこと

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 同日の河北新報コラム「河北春秋」には小林秀雄の評論『本居宣長』をひいて、このような文章が。

 大和心(やまとごころ)とは「柔軟な知恵や常識」を意味すると言い、また大和魂を持った人とは「優しい正直な人」の意味だという。

 桜便りが各地から届く季節、大和心なるものに思いをはせてもいい。

 「従順」「忍耐」で世界を驚嘆させた3.11の日本。

 「特攻」「玉砕」で世界を驚愕させた1945の日本。

 私たちは相反する二つの心を持つ民族のようです。

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 その原因を内橋さんは私たち日本人の習性にありと見ています。

 それは「頂点同調主義」です。

 善悪関係なく、頂点に上がった人の心理に無意識に同調していく私たち。

 それは同じ集団内でのいさかいを極端に嫌う私たちの習性です。

 さらに内橋さんは、「熱狂的等質化」も私たちの習性だとみています

 あらゆる組織のTOPをわが息がかかった者たちで占めればいい、と考える為政者は実に利口です。

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 個人主義が育たない日本、集団主義だけを美徳と考える日本。

 変わりうる可能性は、(残念ながら)国際関係による「外圧」だけしかないようです。

 かつて「黒船」と「マッカーサー」がそうであったように。

 せめて自分だけは「個人主義」を追求したいものだと思う昨今です。