戦後世代の私たちにとって日本国憲法は母親ともいえるものです。目の色がすこし青いとか悪口言わず、まずは感謝と敬意を持つべきと思っています。
「日本版NSC」「特定秘密保護法」ときて、三本目の矢「集団的自衛権」容認が閣議決定しました。
「積極的平和主義」のためだそうです。
「ほんとうかいな?」と思う人でも、「中国への対抗措置」だからしょうがないと感じている人は多いのではないでしょうか。
ところが現実は正反対のようです。
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カーキ色が日々濃くなるように思える昨今は私にはとてもつらい日々です。
しかし、「最後の砦」は実に強力であることを知りました。
その砦がこれから攻撃を受け満身創痍になったとしても、それが存在するだけで「戦争しない国」をギリギリで守れるといいます。
そこに一縷の希望を感じ始めています。
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なぜ今「解釈改憲」を急いだかについて、とても腑に落ちる見解と出会いました。
私なりに話のポイントをまとめてみました。
経済摩擦の70年代から始まり、湾岸戦争を契機に90年代に強烈さを増したアメリカの強い圧力が「集団的自衛権」容認の一番の理由でした。
簡単に言えば、手下なんだから「(破産寸前の俺に)金を出せ」「(親分である俺の代わりに)血を流せ」
ところが一番美味しい市場が「中国」となった今、火付け役アメリカには日本に対して相反する二つの要求がでてきました。
「アメリカの代わりに手下として軍事行動せよ」という要求と「(最大市場の)中国を刺激するな」という要求です。
日本人からすれば「実は中国とタイマンはるため、やむなく(自衛隊の)血を流すのだ」と思ってますが、アメリカの思惑は逆らしい。
たぶん日本とほとんど関係もない遠い異国の地で、アメリカ人兵士の代わりに殺し合いに参加させられることでしょう。
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政界も財界も昔からアメリカには逆らえません。
そこでアメリカを忖度(そんたく)し生まれたのが解釈改憲です。
中国を(あまり)刺激せずにアメリカの手下になるという、アメリカにとって都合の良い仕掛けです。
しかし本心では「戦争できる国」をめざす安倍一族はそれで終わらせるつもりはない。
「解釈改憲」から「憲法変更」に必ず持って行こうとするはずです。
なぜなら「解釈改憲だけでは実際には戦争できない」からです。
「戦争する軍隊づくり」と「戦争する国づくり」
――「戦争する軍隊づくり」が進んでも、「戦争する国づくり」という点ではまだ完全に達成できたわけではありませんね。
そうですね。
「戦争する軍隊づくり」まではいくけれど、「戦争する国づくり」は解釈改憲ではいけないということも大変重要な点です。
「戦争する軍隊づくり」と「戦争する国づくり」を分けている人はあまりいないのですが、
簡単にいうと、自衛隊がアメリカの手下になって、共同作戦を行うところまでは解釈改憲でいける。
しかし、実際に日本が「戦争する国」になるというのは別の話です。
「戦争しない国」の体系は軍事大国化の障害物
なぜ、明文改憲をしないと日本が武力行使をできる国にならないのかというと、「戦争しない国」ということを定めた日本国憲法は、その全体が軍事大国化のための極めて大きな障害物となっているからです。
国の体系として戦争しないことを前提として、戦争する「普通の」大国に不可欠な様々な制度や人権制限、制約の体系などを持っていないからです。
戦争をするためにはつぎのものが必要となるそうです。
「軍法会議」、「非常事態規定」(つまり戒厳令や治安維持法)、「秘密保護法」
秘密保護法は戦争する国への第一歩
私は、秘密保護法も国家安全保障会議設置法も、いずれも日本が自前で「戦争をする国」になるには不可欠の法律であり、制度だと思います。
ところが先ほど言ったように、それを完成させるには明文改憲が必要です。
しかし、現在は、明文改憲をできるような内外の状況にはありません。
そこで安倍政権が考えたのは、「戦争する軍隊づくり」は解釈改憲でいき、「戦争する国づくり」についても、当面、憲法9条に手をふれずに、解釈と立法で、できるところはできるだけやってしまおうということです。
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「戦争をしない国」を守る「最後の砦」とは何か?
それは「憲法九条」です。
渡辺名誉教授の話で、いかに骨抜きにされようが「憲法九条」の制約力はとてつもなく強力であることを知りました。
解釈改憲を急がせたアメリカですが、本音は中国と喧嘩したくないし、日本の軍事大国化を怖れてもいます。
今後「改憲」にもっとも反対するのはアメリカである可能性も強いと思います。
私は「憲法九条」は「国民の命」の防衛装置であり、賢明な「軍事戦略」でもあると思います。
世界屈指の装備を持つ「自衛隊」も「専守防衛」という制限ゆえに世界から一目置かれているのではないでしょうか。
その信頼を活かした自衛隊ならではの国際貢献(和解調停)こそ、今後の世界が一番必要としているもののはずです。
潜在的核爆弾ともいえる原発が密集する日本は、テロリストの恨みを買うわけにはいかないはずです。
軍国化のきっかけとなっている「尖閣問題」は各国にさまざまな言い分があるにせよ、国際法上日本が正当な所有権を持っているようです。
それなら武力衝突を避け、自信を持って「国際司法裁判所」で争うことも十分検討に値するのではないでしょうか。
私たちはこれから「改憲」「護憲」を情念的にではなく、自分たちを守る「軍事戦略の選択肢」としてどちらが適するか比較検討していくことが大事であると思います。
「失ってから宝物であった」と気づくことは、この世にあまりにも多いことを思い起こすべきだと思うのです。
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近隣関係については日野原重明先生のお話も参考になるのではないでしょうか。
まわりの国とのいろいろな問題
ところで、「憲法を変えたい」といっている声のなかに、近くの外国との関係をあげているものがあります。
日本の領土を不当にうばった国や、うばおうとしている国があるのに、いまの憲法ではそれに対抗できないという理由からです。
ちがう憲法を持った国とつき合うということは、なかなかにむずかしいものです。
なにしろ基本的なものがちがうのですから。
しかし、これは人と人とのつき合いに似ています。
そこで大切なのは、意見が対立してケンカになりそうになっても、ふり上げたこぶしを下ろさないで引っこめる勇気です。
これがあれば、幅広く人とつき合っていけるでしょう。
本当なら国と国とのつき合いも、その延長でできるはずですが、いまのふんいきでは「ばかにされるから」とか、「やりたいようにやられてしまうから」といって、仕返しができるように憲法を変えたいと考えている人がふえてきました。
続きはこちらで→日野原先生「憲法」を語る