たしかに「しゃくに障る」ことだらけの近隣国際関係です。こんなときこそ挑発にあおられない冷静さを持たねばな〜、と思うんです。
「なめられたらあかんぜよ!」
だから相手と同じく「険しく」なればいい、という気分が追い風のように吹いています。
マスコミの報道一つで私たちはすぐ焚きつけられてしまいます。
歴史のあちこちで同じような場面がありました。
その後の同じ歴史をまたたどりそうで心配になります。
こんな時こそ問題の発端にかえって調べ直すこと、「あおり」的なものから距離を置くことが求められると思います。
歴史に関する良書こそを読むべき時期です。
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さて、司馬遼太郎さんのファンはたくさんおります。
特に幕末や明治の頃をテーマにした諸著作は、政界や経済界の勢いある方々もきっと大好きなことでしょう。
伝記、英雄譚、紀行文が多いのですが、それらとは少し毛色の違う「『昭和』という国家」という本もあります。
少しだけ抜粋してみます。(読みやすいように小見出しをつけました)
司馬遼太郎
「『昭和』という国家」より
本当の愛国心とは
・・・軍人を含めた官僚が戦争をしたのですが、いったい大正から昭和までの間に、愛国心のあった人間は、官僚や軍人の中にどれだけいたのでしょうか。
むろん戦場で死ぬことは「愛国的」です。
しかし、戦場で潔く死ぬことだけが、愛国心を発揮することではないのです。
・・・むろん、愛国心はナショナリズムとも違います。
ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。
これは、人間の感情としてはあまり上等な感情ではありません。
愛国心あるいは愛国者とは、もっと高い次元のものだと思うのです。
そういう人が、はたして官僚たちの中にいたのか、非常に疑問であります。
彼はこのようなことも書いています。(「『明治』という国家」のほうかも?)
相手になりきって考える
私は、青少年期にさしかかるころから自分を訓練してきたことがひとつあります。
中国のことを考えるときは、自分が中国人だったらと、心からそういうようなつもりになることです。
そのためには中国のことを少し勉強しなければなりませんが、とにかく中国に生まれたつもりになる。
朝鮮のことを考えるときには、自分が朝鮮人だったらと、あるいは自分が在日朝鮮人だったらと思う。
沖縄問題がありますと、自分が那覇に生まれたらとか、宮古島に生まれたらというように考える。
そういう具合に、若いころから自分に対して訓練してきました。
真心を持つことの大切さ
真心は日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。
そして自分自身に対して持たなければならない。
相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかのごとくに感じることが大事ですね。
まるでマリア様のような優しき言葉で違和感を感じる人さえいることでしょう。
しかしリアリストにして市井の大歴史家である司馬遼太郎さんがたどり着いたのは、この(愚直ともいえる)「真心」だったのです。
とても難しいことではありますが。。。
マスコミやネットののあおりから距離を置いて、いろんなことの遠因がどこにあるのかを勉強しないといけないな〜と思うんです。
そうしないと今に、太平洋戦争は架空のできごとだった、なんてことを信じる人も出てきそうです。(冗談ではなく)
司馬遼太郎さんのこの本は対話調で書かれていますからとても読みやすいですね。
同じように半藤一利さんの『昭和史』も対話調で読みやすいのでお勧めです。