ひまだれな私の愉しみ

 ひまだれ(暇を持てあましているという宮城県の方言)なので、ひまだれの詩を書いてひまつぶしをしてしまいました。。。

(ミツバチの蜜蝋で作られたろうそくはほのかな香りがgood!です)

『詩集ノボノボ』より

ひまだれな私の愉しみ

 ひまだれだな〜〜〜

 困ってしまう、やることがない

 65歳となる今年、定年の意義を心底悟った

 二昔前は55歳、一昔前は60歳、今は65歳が定年

 これは実に合理的な制度だったのだと

 社会的理由ではなく、肉体的理由だった

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 こんな声が聞こえてくる

 「ひまなら やることいっぱいあるでしょう!

 趣味とかボランティアとか?」

 実は、その気になれないから

 ひまだれなのだ

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 いつも眠いし、集中が続かない

 テレビも映画も小説も 惰性で眺めている

 社会や政治には、もう興味も怒りも感じない

 いつのまにか超長期的視点に変わってしまった

 簡単に言えば「あきらめ」だ

 私のすること、できることはただひとつ

 清き一票を投ずることのみ

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 これらの症状を自分なりに分析してみると

 「生きるために一生懸命仕事をしなければ」を

 金科玉条のようにして生きてきた

 仕事中毒人種(最後の世代かも)特有の

 シゴトレス・シンドロームがきっとある

 それと運転手から乗客に替わる年代ゆえの

 過渡期の症状でもあるのだろう

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 すでに5年前60歳で退職した同級生に

 年に数回ある飲み会で何度も聞いた

 私だけでなく他の連中も

 「毎日何してんのや?ひまで大変じゃないのか」

 そのたび彼は答える

 「それがさ〜全然そう感じないんだ」

 さらに詳しく聞くと、

 毎日二時間ぐらいの散歩、毎月一回のケントス

 後はたまに図書館で雑誌見だけ、だそうである

 奥さんは?と聞けば、韓国ドラマだけらしい

 (どっちも飽きないの!?)

 合点はゆかぬが、一縷の希望を感じさせてくれる夫婦だ

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 この友人の話には深い意味があるのではと

 最近思うようになってきた

 もしかしたら、こういうことかも

 「ひまだれを何かで埋めるのではない

 ひまだれを薄く長く伸ばしながら

 ひまだれに自分を混ぜ込んでいくのがコツさ」

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 無為に耐える緩慢(かんまん)、ボケ、無感動こそ

 老後を楽に生きる秘訣かもしれない

 他人が見れば悲しく寂しく思うだろう

 なんて無意味で惰性的で弱った人生なのだと

 しかし、弱っていく身体と脳みそで

 長い年月を過ごしていくためには

 美味しい酒を水で割るように

 薄く弱くしていかないと

 人生酒場に長くいられないことだろう

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 さて、ひまだれ初年兵の私にも

 ささやかな愉しみはある

 夜、食事前にわが部屋の電気を消して

 蜜蝋ろうそくや、ろうそくランタンを灯す

 座敷の奥には、やはりランタンのような灯りを発する

 SONYグラスサウンド・スピーカを置く

 けっこう大音量にして

 背中で洋楽を振動とともに聴いている

 熱燗を一合、一時間かけてなめながら

 無為無想にひたる

 それが私のゴールデンタイムだし

 老後への「慣らし運転」の時間でも

 あるわけですよ。。。

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」