マーク・トウェイン「私の南北戦争従軍記」より抜粋 

 マーク・トウェインの作品を数十年ぶりに読み返していますが、強く心に残る文章があったのでブログに残しておくことにしました。

マーク・トウェイン
「私の南北戦争従軍記」より抜粋 

 われわれはしょっちゅうおびえていました。何日かおきに、敵が近づいているという噂が伝わりました。そういうときはいつでもわれわれはどこか別の味方の陣地へ退きました。 けっして一つ所にじっとしていませんでした。 しかし噂はいつも嘘だったので、とうとうわれわれでさえも噂に無関心になりました。

 ある晩一人の黒人がとうもろこし納屋へやって来て、敵が近くをうろついているという、相変らず同じ知らせを伝えました。勝手にうろつかせておけ、と皆は言いました。われわれはじっとしたまま気楽にしていようときめたのです。それはりっぱな勇ましい決心で、われわれは皆ほんとうに勇ましい気持が血管の中を走るのを感じましたが、それもしばらくの間です。われわれはばか騒ぎをし、小学生みたいにはしゃいで、実に愉快にやっていました。

 しかしその熟もさめて、やがて無理な冗談も急に気がぬけ、とってつけた笑い声もすっかり消えて、一座はしんとなりました。しんとしたが落ちつきません。やがて不安で、心配で、こわくなってきました。いったん動かないと言ったので、その言葉に縛られてしまったのです。誰かが行けと言えはそのとおりにしたかもしれませんが、そんなことを言い出すほど勇気のある者は一人もいません。

 まもなく声には出さないが同じ心の衝動から、暗闇の中で音もなく運動が始まりました。その運動が終ってみると、皆は、おもての壁まで這って行って、丸太の間のすきまに目をあてているのは自分だけではないということを知りました。いや、全員がそこへ来ていました。全員がそこへ集まって、心臓がのどまでとび上がったようになって、森の小道に通じているかえで糖の樋のあたりをじっと見ていました。

 夜もふけて、深い森の静けさがあたりをおおっていました。曇った月の光がさしていましたが、光が弱くて全体のものの形がばんやりと見えるだけでした。まもなくかすかな物音が耳に入りました。何頭かわからないが馬の足音らしく思われました。すぐ続いて森の小道に何者かの姿が現われました。煙が作った形ではないかと思われるほど、その形は輪郭がはっきりしません。しかしそれは馬にまたがった男の姿で、そのあとからもまだ続いているように私には思われました。

 私は暗闇の中で鉄砲を手にとって、丸太の間のすきまに押し込みましたが、実は恐ろしさで気も転倒して自分でも何をしているのかろくにわかっていなかったのです。誰かが「射て!」と言ったので、私は引金を引きました。目の前で火花が百個もとび、ズドンという音がいっぺんに百発も聞えたような気がしました。それから男が鞍から落ちて倒れるのが見えました。

 それを見て最初に感じたのは驚きながらも満足した感じでした。新米の狩猟家のように、走って獲物を取りに行こうという衝動を最初は感じました。誰かがほとんど聞えないくらい低い声で、「よし、やったぞー、まだいる」と言いました。しかしもういませんでした。じっと耳を澄まして待っていましたが、やっぱり誰も来ません。物音一つ、木の葉のそよぐ音さえしません。完全な静けさ、気味が悪いほどの静けさで、それは、今や地面から這い上ってあたりにたちこめている、しめった、土くさい、深夜の匂いのためにいっそう不気味に感じられるのでした。

 それからわれわれは、どうしたのだろうと思いながら、そっと這い出して、その男のほうへ近よってみました。そばまで行ってみると、月の光で男の姿がはっきり見分けられました。男は両腕を広げたまま、仰向けに倒れていました。ロを開けたまま、胸は長い息をしてあえいでいます。白いシャツの胸は血だらけでした。

 おれは人殺しだ、という考えが私の全身を走りました。人を殺した、おれになんの危害も加えたことのない人を。今まで経験したことのないぞっとするような感覚が骨の髄までしみ通りました。たちまち私は男のそばにへたへたと坐りこんで、どうにもならないのにその額をなでていました。五分前の姿に立ち返らせることができるなら、なんでも、私自身の命でも惜しみなくやりたい、というのがそのときの気持でした。

 ほかの連中もみな同じ気持だったらしく、かわいそうにどうなっただろうと、上からかがみ込んで、できるだけの手をつくして助けようとし、あらゆる悔みの言葉を述べました。敵軍のことなどはすっかり忘れて、その一人にすぎないこのあわれな存在のことばかりを考えていました。一度は私は想像力のせいで、瀕死の男がそのかすんだ目で私をとがめるように見ていたと思い込み、そんな目で見るよりはいっそ私を突き殺してくれたほうがいいと思いました。

 男はもうろうとしながら夢を見ているように、なんだか妻と子供のことをぶつぶつつぶやきました。私は「おれのやったことはこの男だけでおしまいじゃないのだ。この男と同様に、おれになんの悪いこともしていない、妻子にまでもふりかかるのだ」と思うとまた新しい絶望におそわれるのでした。
 まもなく男の息は絶えました。彼は戦死したのです。堂堂たる本物の戦争で死んだのです。戦闘中に倒れたと言ってもいいでしょう。しかも彼はその敵軍から、まるで兄弟ででもあるように心からその死を悔まれたのです。皆はそこに三十分も立って彼の死を悲しみ、悲劇の一部始終を思い返し、いったい誰だろうとか、スパイかしらとか、もう一度やり直せるものなら、向うから先に攻撃してこないかぎり射ちはしないのに、などと言いました。

 まもなく、射ったのは私だけではないことがわかりました。ほかに五人もいたのです。それで罪が分割され、少しは私の背負っていた心の重荷も軽減して、大いにほっとしました。六発同時に射ったわけですが、私はそのときいわば正気を失っていたので、想像力の過熱によって自分の一発が一斉射撃みたいに拡大されて聞えたのでした。

 男は軍服も着ていなければ武器も持っていませんでした。彼はこの土地の人間ではなかったのです。男の身元についてはそれ以上のことは何もわかりませんでした。毎晩その男のことが私の頭にこびりついて、払いのけることができませんでした。どうしても忘れてしまうことができず、その罪のない生命を奪ったことが実にむちゃなことに思われました。

 そしてそれは戦争というものの縮図で、戦争というものはすべてこのように、個人的にはなんの敵意も抱いていないあかの他人を殺すのだと思われました。他人といっても、事情が変って、たとえば向うが困っていることがわかれば助けてやるだろうし、こっちが助けを求めているときは助けてくれるような、そういう人を殺すのだと思われました。

 私の戦争熱はすっかりさめてしまいました。私はこんな恐ろしいことをやるようにできてない、戦争は大人のやることで、私は子守りぐらいがいいところだと思いました。私は、まだ自尊心が少しは残っているうちに、この道楽半分の贋兵隊稼業から足を洗おうと決心しました。

 そんな病的な考えが道理にそむいて私の頭にこびりついて離れません。心の底ではあの男に手をかけたとは思っていなかったからです。確率の法則は私にあの男の血を流した罪はないと宣言するのです。というのは、私が鉄砲をうったわずかの経験の中で、当てようとねらったものに当ったためしが一回もないのだし、あのときも私はたしかにあの男に当てようと全力をつくしたのですから。でも、こんなことを考えてもなんの慰めにもなりません。病気にかかった想像力にいくら実例をあげて説明してもなんの効き目もないのです。