10年以上も前、ある喫茶店にあった本を読んでいてとても印象に残った話がありました。私のアナログ型脳みそ式記憶装置はその本の題名と著者をちゃんと記憶していてくれました。その本の著者は伊丹十三、本の名前は「女たちよ!」というエッセー集でした。
エッセーというのは今でいえばブログですね。ペンとキーボードのちがいはあれ、どんな時代でも人は似たようなことをやっているもんです。
さて、気になるのでさっそく取り寄せ再読してみました。
次の文章が記憶装置に残っていた興味深い話なんです。どうぞ・・
ドイツの車というものは、実に油が洩れないそうである。あるガレージの親爺がほとほと感心してそういっていた。
これに反して、Eタイプージャグアはどうか知らないが、イギリスの車というものは、これはもう実に当り前のように油が洩る。なんとも欠点だらけの車だ、という印象を人にあたえる。
なんとイギリス人は無器用な国民であることか、と一笑に付す前に、ちょっと考えてみようではないか。
一体、油が洩らないようにする技術とはそんなに高度な、困難なものなのか。いやあ、そんなことはないはずだな。いくらイギリス人が無器用だといっても、油の洩らない車くらい作れないわけがない。
イギリス人にとって、油が洩る、ということは欠点ではないのだ。いや欠点でないどころか、むしろ、それが必要ですらあるらしいのだ。
ロータスの工場の、あるエンジニアと話をした時、このことを質問してみたら、彼はむしろ上機嫌で答えたものである。
「あれは、わざとそうなってるんだよ。つまり、われわれは、ドライヴァーに、車というものは決して油か洩らないものだ、という誤った観念をうえつけたくない。金属と金属の間にパッキングをはさんで螺子でしめつけただけのもんだろう。どんなにそれが完全にできてたって、なにかの衝撃で、どうゆるみがこないか、そんなことが保証できるものじゃない。保証できないとしたら、なまじっか油が洩れないという印象をあたえるより、むしろ、車というものは油が洩れるものだ、一刻も油断ができない、というふうに考えてもらったほうが故障が少い、とわれわれは思うのだ。それがイギリス人の物の考え方なのだ」
確かにシェイクスピアを生んだ国だけのことはある。イギリス人というのは実に人間が好きなのだ。そうして、実に人間を観察することが好きなのだ。人間を欠点多きものとして認め、そしてゆるし、その欠点の枠の中で、なんとか最良の結果を得ようとする。車にもそれが反映して油が洩る、ということになるのであった。
完全な人間などいないのだから完全な機械など作れるわけがない。もし仮に作ったとしても人間が完全に制御できるはずがない。これこそ科学の真理といえるんじゃないのかな〜。だとすれば「想定外」を強調する科学者とは、実は「完全教」の信者といえるかもしれませんね。