晴天の昨日、わが町宮城県涌谷町の輓馬(ばんば)大会を見てきました。戦後から続くこの大会、昨年は3.11のため開催できませんでした。恒例の行事が復活すると、やっと暮らしが元に戻ってきたんだ、という気がします。
輓馬大会とは馬に重い荷物(最重量級だと1トンも)をひかせ、坂を二つ登らせてタイムを競う競争です。
馬と、その手綱を握る馬方とが一緒になって走るので、「人馬一体」がこの大会の変わらぬキャッチフレーズです。
露店もたくさん並ぶので、こちらB級グルメも楽しみの一つです。
さて、B級グルメのイカ焼き、焼きそばをほおばりながら、土手に座って見物です。
お年寄りも子どももいっぱい。
後ろのお年寄りたちは、こんな会話をしていました。
「昔はどこの家でも馬がいたから、けっこう涌谷の馬も出場したんだがな。今は一頭も出なくなったな。」
宮城県でも栗駒町や大郷町などから数頭出場していますが、岩手や青森から来ている馬の方が多いようです。
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それにしても、出場する馬を見ると感嘆の溜息が出ます。
実にぶっといその足、はち切れそうな大きい尻、汗が光るつやのある体、そしてやさしい目。。。
草だけ食ってるのに、なんでこんな馬力が出るんだろう?
みなぎる生命力に圧倒されます。
聞けば、全国の輓馬大会を廻り歩くことを生業としている方々も多いらしいとのことです。
この生命力あふれる馬たちと一緒に生きることは、きっと何ものにも換えがたい喜びにちがいないと思いました。
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父の戦争話でこんな話を聞いたことがあります。
父は北朝鮮が先日失敗したミサイル発射基地がある地域に、山砲隊として征かせられたそうです。
馬数頭に分解した大砲を引かせ、山の上で組み立てて、どかんとぶっ放す戦隊のようです。
「あの頃は、寒い時期でも人間の体は水、馬はお湯で洗う。人間より馬の方が大事にされてたよ」
「田舎の農家では、多くの馬が戦地に征かされた。それで畑や田んぼは馬の代わりに牛で耕作したんだ。牛はのろいから効率は悪かったがな」
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まさに、馬はつい最近まで「農家のトラクター」だったわけです。
私の小さい頃は向かいの酒問屋でも、トラックと馬車が両方使われていました。
あの、所かまわず落として歩く「馬糞」には子供心に閉口したものです。
牛の「べっちゃ糞」よりはましでしたがね。
ふと、スタートラインをみれば、近代的トラクターが数台待機しています。
ゴールに残る引き荷のコンクリートを乗せたそりを戻すためです。
新旧のトラクターを比べて見て感慨にふけりました。
馬は草があればいい。トラクターには燃料の油がいる。
馬と作業するのは苦労もあるだろうが、同じ生き物としての共感や生命力を増してくれる。
トラクターは、いったい何を人間に与えるのだろうか?
同じ作業をしても、馬とトラクターでは、人の精神の養われ方というものは全く違うんじゃないかな、と。
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未来の贅沢とは、たぶんこのような馬や牛とともに耕作する農業もその一つに違いないだろうと夢想しました。
ふと、馬の方を見れば、親父と一緒に手綱を引く丸坊主の中学生がいました。
後ろの爺さんたちの会話が印象に残ります。
「ほれ、あの坊主もこんなふうにして馬の扱い方覚えていくんだっちゃな。いいっちゃなや。」