私たちの親はベンチャーズ

 野良にも小さな町にもベンチャーがいました。それは戦後の昭和を生きた私たちの親たちです。その野性を受け継ぐのは、今からでも決して遅くないと思っています。

 昨日の午後は会社をさぼって、米寿の父と一緒に畑仕事をしました。

 私の自宅のそばに、父は10年以上前から小さな畑を借りて耕しています。

 父の住む隣町にある私の実家から約8キロ、車のトランクに農機具や水のポリタンク、肥料などを積んで通っています。

 私は農業の経験は「0」でして、それだけにあこがれが人一倍強いのです。しかも足が悪いくせになんとかやってみたいものだと日々思っていました。

 そして一念発起、今年から父に畑作を習おうと決心し、その第一回目の授業が昨日の午後でした。

 耕耘機などはないので、スコップやクワで土の天地返しや畝作り、そしてジャガイモの種芋を植えました。

 父は実家が農家でしたし、そこでは家畜も飼っていたので、農業やら飼育やらにとても詳しいのです。

 それにしても「土」とたわむれることは実に愉しいものです。

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 さて、昨日の朝、いつものように新聞を便学していましたらこんな記事が。

2012.4.19朝日新聞より

(私の転機)
「日本の宿 古窯」佐藤幸子さん 井戸を掘ったら出た土器片

 「一銭のお金も入れないで渡すのは、これが成功してもあなたのせい。失敗してもあなたのせい」

 そう義母(はは)からからっぽの金庫をもらって、7部屋の小さな旅館を開業したのは1951(昭和26)年の秋でした。私は22歳。お金がなくて、客室の布団も私の着物を解いて縫いました。

 困ったのが水でした。水道がないから、山の中腹まで毎日てんびん棒を担いでくみに行きました。敷地のあちこちに井戸を掘りました。でも水は出ない。

 代わりに、焼き物のかけらが次々出てきました。約1200年前の須恵器の窯跡だったんです。うまく焼けなかった皿を捨てていたんですね。57年に県の史跡文化財に指定され、私どもも「古窯(こよう)」に改名しました。

 過去と現代を結びつけようと、すぐに始めたのが楽焼です。素焼きの皿を用意して、お客様に絵や字を描いてもらって焼き上げる。初めのころは1枚だけの日もあって経費面で苦労しましたが、継続は力なり。当館の名物になりました。脚本家の橋田寿賀子先生には「信真新進神心辛身」と書いていただきました。

 70年ごろ、近くの旅館を買い取って規模が大きくなったとき、「各部屋に食事を運ぶのが大変だから辞めたい」と従業員が大合唱したことがありました。

 困り果てて思いついたのが、館内に小さな「料亭」をつくり、そこに食事に来てもらう方法です。従業員の負担は随分減りました。料亭に続く廊下には焼いた皿を並べ、「らくやき画廊」と銘打ちました。

 振り返ると、「困ったこと」に助けられてきたように思います。いいことばかりだとアイデアは出ないんです。困って困って、明日からどうしようと思って、アイデアが浮かんでくる。困るっていいことなんですよ。
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 さとう・さちこ 83歳 「日本の宿 古窯」創始者 1951年に山形県上山市で旅館を開業。82年に東京・銀座に和食店「日本料理古窯」を開店。現在はコンシェルジュとして旅館に立つ。92年のNHK連続テレビ小説「おんなは度胸」のモデル。

 あの有名旅館が!私たちが産まれたあたりの時代にはこんな苦労をしていたのかと。。。

 そして困り果てたことが逆に、オリジナリティーあふれる旅館への道を開くことになった。。。

 びっくりし、おおいに考えさせられました。

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 終戦直後からの20年間は、まさに日本が焼け跡から立ち上り復興する「大いなる野性の時代」でした。

 それを担ったのは、高性能・高学歴のエリートだけではありません。

 私たちの父や母たちの多くが、初めてのことに挑戦し、だめならまたも新たなことに挑戦し続けたのです。

 かくいうわが母もそうでした。

 近所を見れば、みな貧乏ながら様々な店を開いたり、また商売替えをしたり。。。

 農家もそうです。稲作だけから養豚、果樹栽培、ハウス園芸、行商・・・

 父の実家では、祖母が一人で稲作、雑穀、畑作、かいこ、豚、牛、羊の飼育、機織り、食品作りとなんでも行っていたんです。

 いわば、すべての人が自分で道を切り開く(それしかなかったので)「ベンチャー」であったと言えるでしょう。

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 今、私たちがイメージする「ベンチャー」とはどんなものでしょう?

 巨大なバベルの塔でディスプレイを見ながら、マウスをクリックして大金持ち。

 しかし、みんなITがらみの商売で、考えや経営スタイルも似たり寄ったり。

 昔の「ベンチャー」とは全く正反対です。

 私は思うんです。

 昔の「(泥)ベンチャー」のほうがイキイキしてるし、だれでもやれそうだな、と。

 しかし、たったひとつ忘れちゃいけないものがある。

 それは「身体・自然・生活と重なったみずみずしい野性」だと。

 そんな気がして、父を先生として「ジャガイモ植え」から始めようとしたわけです。

 「(もうすぐ)還暦ベンチャー」への第一歩を。

 (実は明日が59回目の誕生日なんです。)

参考
 三丁目の夕日はなぜまぶしい?
 気骨ある親たち
  三丁目の夕日と「今」
 ジャガイモ掘りの日曜日