ついに釈放された本たち

 絵は見られるためにあり、本は読まれるためにある。なのにわが愛しの本たちを13年間も押入に閉じ込めておいた私は罪な男です。。。

 今をさかのぼること13年、2003年7月に宮城県北部地震が発生し、わが涌谷町では震度6弱の揺れが起きました。

 あの大災害となった宮城県沖地震から15年ぶりの大地震で、当時とてもショックを受けたものです。 

 しかし、その後、2008年の宮城・岩手内陸地震や2011年の東日本大震災と、さらに超弩級の地震に見舞われるとは当時思いもよりませんでした。。。

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 さて、その2003年の地震で本棚から本が飛び出ました。

 地震の後、私は、安全のために本棚の本を小分けにまとめてヒモでしばりました。

 そしてほとんどの本を、暗い押入の奥へと監禁したのでした。

 (私を育ててくれた無実の本よ、申し訳なかった。。。)

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 そして13年の歳月が流れましたが、ついに今年(2016年)の6月、無実の本たちが「押入」の監獄から釈放されたのです!

 監禁したのも私、釈放したのも私、まるで刑務所の所長のようです。

 さて、晴れて自由の身になったわけはといいますと、彼らの新しい居場所ができたからです。

 それは「DーMURA」という場所です。

 そこには価値観や想いを同じくする仕事仲間の「共同企画体」事務所や、様々な人が集うコ・ワーキングスペースがあります。

 そこに設置した「本棚」という住処に、わが家の押入に眠っていた本、それと私の会社に置いていた本、合わせて千数百冊が再び顔を現したのです。

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 背表紙は本の顔です。

 背表紙を見るだけで、あの日、あの時、その本を読んだ頃のこと、その本の内容が思い出され、過去の豊かな思い出が脳裏によみがえってきます。

 「本は本にあらず、本は人なり」
 「本」という「人」に、特に古典という「先生」に、深きことを教えていただいたのに、私はなんという罪なことをしてしまったのか。。。

 これらの本をもう一度パラパラとでもめくりながら、わが人生の来し方行く末を見つめ直してみようと思っています。

 「本は読まれるためにある」

 私以外のだれかもページをめくってくれたら、長い監禁にじっと耐えていた本たちもきっと本望なことでしょう。

 →本棚の大切さ