茨木のり子「花の名」より抜粋

 茨木のり子の詩に、父の死を悼む「花の名」という作品があります。葬儀から帰る列車内、相席の男性と他愛のない会話を交わしながら、内心、作者は亡くなった父の面影をたどっていきます。119行というこの詩の長さに、亡き父への思いの強さを感じさせられます。
 ついにこの詩をブログに引用する日が来てしまいました。

 


茨木のり子「花の名」より抜粋

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 女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか

 とてもいいものだよ

 父の古い言葉がゆっくりよぎる

 物心ついてからどれほど怖れてきただろう

 死別の日を

 歳月はあなたとの別れの準備のために

 おおかた費やされてきたように思われる

 いい男だったわ お父さん

 娘が捧げる一輪の花

 生きている時言いたくて

 言えなかった言葉です

 棺のまわりに誰も居なくなったとき

 私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた

 氷ともちがう陶器ともちがう

 ふしぎなつめたさ

 菜の花畑のまんなかの火葬場から

 ビスケットを焼くような黒い煙がひとすじ昇る

 ふるさとの海辺の町はへんに明るく

 すべてを童話に見せてしまう

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